だが、開戦3日目に、国内の反対デモの勢いと怒りの大きさにショルツ首相は方針を転換。一転、SWIFTからの排除に賛成し、全面的な対ロ制裁に乗り出したのだ。一挙に勝負は決した。ドイツの方針転換で西側の徹底制裁方針が実際に動き出し、いつも“しっかり検討する”だけの情けない日本の岸田文雄政権をも呑み込んだ。
開戦当日、大阪の薛剣・中国総領事が「ウクライナ問題から学ぶべき教訓」として勝ち誇ったように〈弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売ってはいけない。仮に強い人が後ろに立って応援すると約束してくれてもだ。人に唆され、火中の栗を拾ってはいけない〉とツイート。
台湾に中国が侵攻しても弱い日本は関与してはいけない、たとえ後ろにアメリカがいても、という意味である。
文革で荒野と化した中国のインフラ整備のために必死だった日本。その姿を現地で見ていた私には、いうべき言葉もない。だが大阪総領事のこの驕りをウクライナ人が吹き飛ばしてくれた。
ウクライナの抵抗は続き、3月15日現在、まだキーフも持ちこたえている。逆に経済制裁でルーブルは下落の一途、ロシア国債もデフォルト(債務不履行)寸前に陥っている。対話での戦争阻止の難しさと核威嚇の怖さ、そして歯を食いしばって戦うことの大切さをウクライナは私たちに教えてくれた。
しかし、日本では非核三原則すら「議論することは考えていない」と岸田首相。抑止力で平和と国民の命を守る最後のチャンスを日本は失おうとしているのである。
同じ敗戦国のドイツやイタリアもNPT(核不拡散条約)の批准国である。三国とも規定に従って独自の核兵器はゼロ。だがドイツとイタリアは国内に米国の核を共有する“核シェアリング”を行い、国民の命を守っている。核武装ではなくシェアリングだ。
日本には核の共有に国土を提供することもなく、米国にお願いして、米原子力潜水艦による「核抑止力」だけを共有させてもらう方法がある。もちろん、そのためには憲法も、自衛隊法も変えなければならない。だが「核武装」、つまり核開発・核実験・核保有を日本がするのではなく、ただ「核抑止力」だけを共有させてもらう、という方法である。
非核三原則の「持ち込ませず」が有名無実であることは、政治家も、また国民も、皆、知っている。だが今と同じ状況で「核シェアリングを宣言する」だけで、日本は中国などの核威嚇が効かない国となれるのである。
核シェアリングではなくとも、今後はINF(中距離核ミサイル)の第一列島線への配備要求も米国から出てくるだろう。しかし、それよりも前に核シェアリングの宣言があれば、土地提供の必要もなくなる。タブーなき議論で、国民の生命、財産、そして領土を子々孫々まで守って欲しいと願う。
(初出:月刊『Hanada』2022年5月号)
作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部に配属され、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、のちに角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『オウム死刑囚 魂の遍歴―井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(PHP研究所)、『新聞という病』(産経新聞出版)がある。