人数の問題だけでなく、一部の党専従者が、選挙で国民から選ばれた議員の上に立って「上司」として議員に指揮命令を下しているのも共産党の特徴だ。
日常的な党の意思決定機関である常任幹部会は26人で構成されている。そのメンバーは次のとおりだ(五十音順)。
市田忠義、岩井鐵也、浦田宣昭、太田善作、岡嵜郁子、緒方靖夫、笠井亮、紙智子、吉良佳子、倉林明子、小池晃、小木曽陽司、穀田恵二、志位和夫、高橋千鶴子、田中悠、田村智子、寺沢亜志也、中井作太郎、浜野忠夫、広井暢子、藤田文、不破哲三、山下芳生、山添拓、若林義春
このうち名前がわかる人物がどれくらいいるだろうか? 26人中、国会議員は半数以下の12人に過ぎない。大半が非議員で不破氏や緒方氏のように議員を引退している人物も含まれている。国民からの批判を浴びることのない経歴不詳の人物や引退した元議員たちが、国民から選挙された議員や全国の党組織、党員を、常任幹部会を通じて操る仕組みになっているのだ。
「志位独裁」
最近になって常任幹部会のトップは名実ともに志位和夫委員長になった。
「名実ともに」というのは、数年前までは実質上のトップは不破前委員長だったからだ。不破氏は衆議院議員を引退し、党委員長職を降りたあとも常任幹部会に居座りつづけ、党の方針決定や人事に力をふるってきた。志位氏が委員長職についたのは2000年で、以来ずっと委員長の交代がないことから「志位の独裁が21年も続いている」と非難されているが、志位委員長体制が安泰なのは、不破氏が後ろ盾になっていたからである。「志位独裁」の実態は「不破傀儡」「不破院政」と呼ぶにふさわしいものだった。
共産党が表面的にせよ天皇や自衛隊の存在を認めるように方針転換したのは不破氏の判断によるものだ。
ところがその不破氏の力もさすがに近年は衰えてきた。それは91歳という高齢によることもあるが、年齢以上に直接的な理由としては、中国共産党との関係を修復させたことの失敗が大きい。
文化大革命以来、断絶していた中国共産党と日本共産党の関係を電撃的に復活させたのは不破氏の発案と手腕によるものだった。だが「中国は市場経済を通じて社会主義建設をめざしている」との不破氏の見通しが的外れだったことが明らかになり、かえって香港での人権抑圧など中国共産党の横暴勝手な振る舞いが国際社会のなかで問題視されるようになった。
そこで志位委員長は2020年1月に党綱領から「社会主義をめざす国」という記述を削除し、「中国は社会主義とは無縁だ」と言い出した。私はこの中国への態度変更こそ不破院政が終わり、志位氏が実権を握った瞬間だと見ている。
とはいえ志位氏が不破氏から受けた影響は大きい。卑近な例かもしれないが、演説時の話し方にもそれは表れている。
志位氏の演説は一つ一つの話題の締めくくりごとに「…と思いますが、いかがですか、みなさん」とか「…ではありませんか、みなさん」などと賛同を求める表現が多用される。聴衆に(うなづけ)(拍手しろ)と暗黙のうちに「同調圧力」をかける手法である。
これは不破氏が得意としていた演説方法で、不破氏は賛同を求めるときには言葉だけではなく、カッと目を見開き歌舞伎のような一種の見得を切るのが常だった。
共産党の雑誌記者だった私はカメラのファインダー越しに、演説する不破氏の表情を見ていたが、演説で強調したい部分、写真を撮ってほしい部分がよくわかるので撮影しやすかったことをよく覚えている。