その後「同調圧力」は国会で政治家たちによって、どんな風に使われてきたか。
そのネガティブな言葉の印象のために相手を批判する際に使われることが多い。たとえば2019年2月4日の衆議院予算委員会では立憲民主党の長妻昭議員が自民・公明の現政権を批判して次のように述べている。
「今の政治では、異論が排除され、集団同調圧力が強まるばかりです。それが、組織において、不正まがいの指示がおりてきても、誰も疑問の声を上げることができないという空気の支配を強め、そんたくがはびこる現状を生み出しているのではないでしょうか」
さらに2020年11月4日の衆議院予算委員会では同じく立憲民主党の逢坂誠二議員が、総理大臣による日本学術会議の会員任命拒否を非難して、次のように発言している。
「これは私の理解ですが、人事権といえども、自由に勝手気ままにやってしまいますと、それは社会が萎縮しますよ。それから、物言わぬ社会になってしまいますよ。同調圧力が強まりますよ。全体主義的な傾向が強まりますよ」
立憲民主党は、同調圧力が強まれば少数意見や異論が排除され、自由のない全体主主義的な社会に陥ってしまうと、政府や自民党を批判している。
だがそうした批判が自由にできること自体が全体主義とは対極の民主主義の姿ともいえる。
政府・与党が意思決定するまでのさまざまゴタゴタが日々のニュースを通じて国民に伝えられている。なかには「醜態」と思える姿すらさらされることもある。私なども「なんでそんなことをしちゃうかな」と呆れることもしばしばある。
だがそうした国民の批判にさらされることが政府や与党を鍛えている。一つの意思決定までの紆余曲折を国民と共有していることは民主主義の大切な要素だ。