だが、孔大使は日本を責めている。中国が公船を出して「釣魚島」海域の法執行パトロールなど必要な対応をとらざるを得なくなったのは、日本が島を国有化し、「現状」を変えたためだと言うのだ。
日本固有の領土の尖閣諸島を民間所有から国所有に変更することについて、関係のない中国からとやかく言われる理由はどこにもない。偽りの主張で現状変更を図っているのは中国である。しかし、孔大使は臆面もなくこうも言う。 「同問題に対する双方の最大の違いは、中国が釣魚島問題の適切な管理、両国関係の大局維持の考えから、日本公船の同海域での活動について騒ぎ立てていないことだ」
こんな開き直りは恥を知らない人間でなければできないだろう。
2020年11月に来日した王毅外相も、中国の傲慢さを遺憾なく発揮した。24日、茂木敏充外相との共同記者会見で、王氏は東シナ海の緊張は日本漁船に責任があるとし、「日本は敏感な水域で事態を複雑化させる行動を回避すべきだ」と言い放った。翌日夕方、菅義偉首相を表敬訪問したあと、報道陣に「日本側の漁船が繰り返し敏感な水域に入っている。このような船舶を入れないようにするのが大事だ」と、またもや日本を非難した。
王毅氏はまた、尖閣諸島海域に入る日本の漁船は「正体不明」だと論難した。中国では、海上民兵が漁民を装って他国の島々を盗みとる先兵となって働いている。だが、日本と中国は全く違う。日本の漁船は各漁業組合に所属し、全て正式に登録されており、身分についてやましいところはない。
正体不明の海賊船は中国のお家芸であろう。その無法の中国と折り目正しい法治国家の日本を同一視する発言は、非常識の謗りを免れない。
日本外務省は今回は反論した。同日の会見で、「全く受け入れられない」と明言した。しかし、政治家のなかには暴言虚言の王毅氏を大歓迎する人々もいる。その筆頭が、自民党幹事長の二階俊博氏である。二階氏が維持する中国とのパイプも必要であろうが、政府は二階氏が中国側とどのようなやり取りをしているのか、正確に把握しておくことが必要である。
事実関係を明確にみ、物事の本質を理解しておかなければ容易に中国に騙される。油断していると、彼らのレトリックでごまかされる。そうした一例を、まんまと米国を騙した朱鎔基氏の言葉から拾ってみよう。
孔大使の数々の偽りの罠
WTO加盟の最後の仕上げに訪米した99年4月2日、朱鎔基氏は「ウォールストリート・ジャーナル」(WSJ)紙の発行人、ピーター・カン氏と会談した。カン氏が天安門事件で戦車の前に立ち塞がった若い男性について質すと、朱氏は直ちに言い放った。
「私にも想い出す映像がある。米軍の爆撃でベトナムの少女が裸で逃げる映像だ。(中米)両者には基本的な相違点がある。天安門では戦車は青年を轢かずに回り込んだ」
WSJは世界トップクラスの新聞で、影響力も大きい。その発行人であるカン氏が一言も反論できなかったのである。
だが、この二つのケースには大きな違いがある。ベトナム少女の悲劇は、米国とベトナムの血みどろの戦争のなかで起きた。天安門事件は、中国政府が自国民を殺したケースだ。青年は逃れたが、幾千人もの中国国民が天安門で政府に殺害された。どれほどの犠牲者が出たのか、私たちはいまもその正確な数を知らない。中国政府は決して真実を発表しない。
カン氏が指摘すべきは中国政府による自国民大虐殺の非であったが、氏はいとも容易に朱氏のレトリックで沈没した。
もうひとつの事例も興味深い。朱氏はクリントン大統領とも会談し、両者は共同記者会見に臨んだ。4月8日のことだった。
会見で台湾問題を質された朱氏は、中国当局が「一国二制度」を重視しているとして、「台湾総統は、望めば中国政府の国家副主席(deputy head of the central government)にさえなれる、ただし、中国政府は武力行使は絶対に排除しない」と語ったのだ。
理由として挙げたのが、リンカーンの南北戦争だった。リンカーンが武力で南部連合に勝利しなければ米合衆国は二分されていた。国家統一には武力行使が必要だということを、中国はリンカーンに学んだと言ったのである。
右の朱鎔基発言に、クリントン大統領が直ちに反論した。米国の南北戦争と中台の関係は全く異なると強調したが、それは台湾への武力行使の理由にリンカーンを利用するのは受け入れられないという、明確な意思表示だった。クリントン氏の反論こそ、国家として必要なことだ。
朱鎔基、王毅、孔鉉佑三氏には、どう見ても、真実に向き合う誠実さが全く欠落している。天を戴き、天の下で、誰が見ていなくとも天が見ている。また自らの良心も自分を見ていると考え、身を律しようとする日本人とは、文字どおり、雲泥の差である。
日本の相対峙する中国はあらゆる意味で手強い。しかし、私たちは孔大使の数々の偽りの罠にはまることなく、中国に堂々と立ち向かうのがよい。日本人の日本人らしさを発揮すれば一歩も退かずに対峙できるのである。(初出:月刊『Hanada』2021年2月号)
国家基本問題研究所理事長。ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスター等を経て、フリー・ジャーナリストとして活躍。『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中公文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、『日本の危機』(新潮文庫)を軸とする言論活動で菊池寛賞を受賞。2007年に国家基本問題研究所(国基研)を設立し理事長に就任。2010年、正論大賞を受賞。著書に『何があっても大丈夫』『日本の未来』『一刀両断』『問答無用』(新潮社)『論戦』シリーズ(ダイヤモンド社)『チベット 自由への闘い』(PHP新書)『朝日リスク』(共著・産経新聞出版)など多数。
日本記者クラブで会見する孔鉉佑駐日中国大使(YouTube動画より)