中国共産党は、中国の体制転覆を狙う西側勢力の動きを何十年も警戒してきた。
民主的な政治思想の流入で内政が不安定化する恐怖を感じたきっかけは1989年、天安門での学生の抗議活動を鎮圧するため軍隊を投入せざるを得なくなり(「六四天安門事件」)、5か月後にベルリンの壁が崩壊、指導部を震撼させたことだった。
2000年、中央宣伝部の職員が西洋諸国は過去10年にわたり「砲煙なき第三次世界大戦」をしかけてきたと主張。この恐怖に基づく「冷戦メンタリティ」が、中国共産党の指導部に「中国に混乱をもたらそうとする敵対的な西側勢力との生死を賭けた戦い」に従事していると信じ込ませる要因となった。
2003年のグルジア(ジョージア)「バラ革命」、04年のウクライナ「オレンジ革命」、05年のキルギス「チューリップ革命」、「アラブの春」の発端となった10年から11年にかけてのチュニジア「ジャスミン革命」など、各地で「カラー革命」が続発すると、北京はさらに恐怖を感じた。
14年の台湾「ひまわり運動」や同年の香港「雨傘運動」、そして19年に始まった香港民主派の抗議デモを、中国を不安定化させるアメリカなど西洋諸国の陰謀としか理解しないのは、そのあらわれだ。
党指導部は、国際世論が中国について抱くイメージを、肯定的なものに置き換える決意を固めている。
その目的は、中国共産党への批判を沈黙させること、党の検閲規範を他の国でも守らせるようにすること、そして「中国的特色のある統治システムの優位性」を宣伝し、現行の国際秩序を中国寄りに作り変えることだ。
習近平は2013年の演説で、中国から見た世界を、「赤」(中国共産党の拠点)「灰色」(中間地)「黒」(否体的な国際世論を意のままに作り変える定的な世論の〝敵対勢力〟圏)の三つのゾーンに分類し、「赤」に引きずり込むため「灰色」の領域に手を伸ばし、「黒」の領域と戦うよう党に指示した(下図参照)。
そこで外国人を分類し、「すでに党に共感している人々」と、「政治的中間者」、そして説得不可能な「強硬派」の3派に分けてアプローチする。主なターゲットは2番目の「政治的中間者」だ。毛沢東はかつて「95%の人民は善良」で、中国共産党の味方になりうると定義した。
「中国モデル」の世界への輸出
自分たちとは異なる意見を持つ外国の政治的中間者に、悪意や計画的な意図がないと見た場合、中国
共産党は(彼らにとっての)正しい視点や正しい立場を辛抱強く説明し、「誤解」を解くよう説得する。
西洋諸国の多くの人々が、中国共産党の脅威や人権侵害を軽視したり否定したりするのは、この説得が成功している何よりの証拠だ。
「黒」の領域では、国内外の一握りの「敵対勢力」が意図的に虚偽の情報を広め、中国共産党を貶めようとしている。その一握りの5%は「人民の敵」だから断固として否定される。
中国共産党は、何の権利もない「人民の敵」を容よう赦しゃなく叩きつぶす。反体制派や人権派弁護士、法輪功信者に対する非常に残忍な扱いを正当化する論理だ。
2008〜09年の「リーマンショック」は、「中国が世界的な発言力を持ち、欧米の秩序に代わって中国の政治経済モデルを提示するチャンス」だと党エリートには映った。
そこで世界の「政治的中間者」に向け、この危機が金融規制緩和の弱点と行政による監視の欠如をどれほど露呈したか強調し、それに比べて、中国のより慎重な改革は、このようなメルトダウンを防ぐことができる、と主張した。
中国の学界では、欧米の統治モデルに取って代わる「中国モデル」の世界への輸出が公然と語られるようになった。中国の大国化は、エドワード・スノーデンの暴露 、無謀なイラク侵攻、さらにトランプ登場でアメリカが「無責任な世界の悪党」になるにつれ、ヨーロッパやアジアで反米主義者たちに歓迎されている。