李登輝空港の実現を
残された私たちは、日台関係のために何ができるのか。李登輝さんが残した大きな遺産を、どう継承していけばいいのでしょうか。
先日、櫻井よしこさん、門田隆将さんと話していて思いついたのは、桃園空港に「李登輝空港」と名前を付けようじゃないか、その運動を日本から支援しようじゃないか、ということでした。
世界には、正式名称や愛称として人名を付ける空港が各地にあります。「ジョン・F・ケネディ国際空港」「チャンドラ・ボース国際空港」など、その国を訪れる人々に自国の英雄を印象付ける名称を付け、英雄を称えるとともに、その功績を残そうというわけです。
現在、台湾最大の国際空港である「桃園空港」は、かつて「中正國際機場」と呼ばれていました。これは介石の本名である「中正」をとったものだったので、英語表記も、介石の英語表記(Chiang KaiShek)の頭文字を取った C.K.S. Airport という別称が多用されていました。
そんなこととはつゆ知らず、私のブラックリストが解禁になって台湾に数十年ぶりに帰国するという際、着陸直前に英語のアナウンスで「チャンカイシャ(介石)エアポート」と流れてきたときには、一瞬、血の気が引き、帰国を後悔したほどでした。
本来なら、夢にまで見た祖国の地、到着するなり大地にひれ伏して帰国を味わいたいと思っていたくらいでしたが、このアナウンスで一気に気分が覚めたほどです。この時、もし夫の周英明も同行していたら、「僕は飛行機から下りない」と激しく抵抗しただろうとさえ思ったのです。
ぜひこの李登輝空港の実現を、台湾の草の根から起こし、日本から支援したい。これは李登輝さんの功労に報いるための、私の宿題です。
著者略歴
評論家。1934年、台湾生まれ。早稲田大学に留学、博士課程修了。早稲田大学などで英語教育に携わる。台湾独立運動に参加。2000年から総統府国策顧問。09年9月、日本国籍を取得。著書に『凛とした子育て』(PHP文庫)、『家族という名のクスリ』(PHP)など。最新刊は『愛国心』(ワニブックスPLUS新書)。