【追悼】李登輝さんに報いる私の宿題|金美齢

【追悼】李登輝さんに報いる私の宿題|金美齢

2020年7月30日、李登輝元台湾総統が亡くなりました。97歳でした。「台湾民主化の父」と言われ、また親日家でもあった李登輝さんへの、同じ志をもって台湾独立を掲げる金美齢さんの追悼記事です。(初出:月刊『Hanada』2020年10月号)


会談で動いた漁業権問題

2010年10月31日、台北の松山空港と東京の羽田空港の間に就航便が開通することになり、当時野党議員だった安倍さんが、第一便で台湾を訪れました。

その頃、私はかなり忙しくしていて、事務所は留守にしがちなうえ、携帯電話も持っていないので、外出してしまうと連絡が取れない状態だったのですが、たまたまその日は予定がなく、事務所にいたところ、なんと台北の安倍さんから電話がかかってきたのです。

「実はいま、台北に来ているので李登輝さんに会いたいのだけれど、伝手がない。何とかなりませんか」

私は「わかった、一時間後にもう一度電話して」と言って電話を切り、すぐに台湾独立建国連盟の主席である黄昭堂さんに電話を掛けました。彼なら李登輝さんに連絡がつくだろうと思ったのです。

彼は非常に遠慮がちな人で、「実は李登輝さんのホットラインの番号を本人からもらっているんだけれど、これまで一度も掛けたことがない」と言う。そして、この時もためらっている様子が見て取れたので私は彼を一喝し、「いま使わなくて、いつ使うの」と、李登輝さんにいますぐ電話するよう促したのです。

黄昭堂さんが慌てて李登輝さんに電話したところ、なんと李登輝さんも安倍さんが来台していると知って会いたがっていたのだという。しかし、「安倍晋三は日程が詰まっていてそれどころではない」として取り合ってもらえなかったというのです。

一方、安倍さんのほうも「李登輝さんは体調が悪いので、いまは人に会える状態ではない」と聞かされていたとか。双方に邪魔が入っていたということになります。

安倍さんはこの日、日本メディアを対象に開いた会見で、李登輝さんから「尖閣諸島の領有権は日本にある、と明言された」旨を明かしました。

ここからは憶測ですが、李登輝さんは「尖閣は日本領である」という主張と同時に、日台漁業協定についても述べたのではないか、と私は思っています。

というのも、安倍さんが再び総理の座に就いて間もない2013年4月、日台間で尖閣諸島周辺海域の漁業権をめぐる協定「日台民間漁業取決め」が調印されたのです。これが、2010年の李登輝・安倍晋三会談の成果であるならば、電話を取り次いだ私も、この件に”一役買った”と言えるかもしれません。

2010年10月31日、台北市内の李登輝元総督のご自宅前で。

我是不是我的我

李登輝さんは、国際社会から「ミスター・デモクラシー」 「民主先生」と呼ばれるほど、台湾に民主化を根付かせ、日本人の自尊心をも回復する影響力を持った紛れもない「偉人」です。

もともと彼には老獪さ、もっと言えば古狸のような部分があったのか、それとも誰もが認める優等生としての生真面目さによって、ポストに座るごとに自分の器も成長させてきたのか、わかりかねるところがありますが、おそらく両方を併せ持っていたのでしょう。

ではなぜ、1984年に経国は本省人である李登輝さんを副総統に任命したのか。一般的には「李登輝には野心がなかった」からだといわれていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

李登輝さんは「我是不是我的我」(私は、私でない私である)という言葉を座右の銘にしていました。私利私欲も、自分が偉くなりたいという権力欲もない。李登輝さんは敬虔なクリスチャンでしたから、そうした面からも禁欲的で、自らを律する意思をお持ちだったのでしょう。

もう一つ、理由を挙げるとすれば、李登輝さんの長男である李憲文が1982年に亡くなっていることも大きかったのかもしれません。

経国は、自身は介石の息子として中華民国総統の座を世襲していますが、自身の子供には世襲させないと明言していました。これは中国人には珍しい発想でしたから、経国が「世襲を考えない人物を使いたい。その点、李登輝は息子が死んでいるから、世襲はできないのでちょうどいい」と思ったことも、李登輝抜擢の一因だったのではないかと思います。

そして経国亡きあと、外省人からは「所詮、国民党や元老の操り人形だろう」と思われていた李登輝さんが見る見るうちに成長し、台湾の民主化を推し進めた。私は李登輝さんという存在が、四百年近くも他者の手によって統治されてきた台湾にとって「運命の女神が初めて微笑んだ」ことの象徴だと思っています。

そして、李登輝さんが評価し、育ててきた蔡英文も、李登輝さんと同様、学者だった経歴を持ち、与えられるステージのなかでどんどん成長しています。彼女も全く私利私欲はない。クリーンで、台湾のために身を粉にして働いています。

中国の圧力はいや増すばかりですが、その圧力が李登輝さんを育て、蔡英文を成長させたのもたしか。その蔡英文のゆるぎない成長を見届けた李登輝さんは、安心して眠りにつけたのではないかとさえ思うのです。

関連する投稿


中国、頼清徳新総統に早くも圧力! 中国が描く台湾侵略シナリオ|和田政宗

中国、頼清徳新総統に早くも圧力! 中国が描く台湾侵略シナリオ|和田政宗

頼清徳新総統の演説は極めて温和で理知的な内容であったが、5月23日、中国による台湾周辺海域全域での軍事演習開始により、事態は一気に緊迫し始めた――。


【読書亡羊】「台湾認識」のアップデートはお済みですか?  野嶋剛『台湾の本音』(光文社新書)

【読書亡羊】「台湾認識」のアップデートはお済みですか? 野嶋剛『台湾の本音』(光文社新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする2024年最初の時事書評!


ウイグルの自由と独立のためともに闘う!|和田政宗

ウイグルの自由と独立のためともに闘う!|和田政宗

中国政府は「ウイグル人はテロリストでテロ組織に属している」という主張を展開し、「ウイグル人は中国国内において弾圧されていない」という世論工作活動を世界各地で展開している――。(サムネイルは日本ウイグル協会Xより)


【読書亡羊】中国軍人の危険な書、なぜ「台湾統一」の項は削除されたのか  劉明福『中国「軍事強国」への夢』(文春新書)

【読書亡羊】中国軍人の危険な書、なぜ「台湾統一」の項は削除されたのか 劉明福『中国「軍事強国」への夢』(文春新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


イーロン・マスクが激奨する38歳の米大統領選候補者とは何者か|石井陽子

イーロン・マスクが激奨する38歳の米大統領選候補者とは何者か|石井陽子

米史上最年少の共和党大統領候補者にいま全米の注目が注がれている。ビべック・ラマスワミ氏、38歳。彼はなぜこれほどまでに米国民を惹きつけるのか。政治のアウトサイダーが米大統領に就任するという「トランプの再来」はなるか。


最新の投稿


【今週のサンモニ】口だけの核廃絶は絶望的なお花畑|藤原かずえ

【今週のサンモニ】口だけの核廃絶は絶望的なお花畑|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


衆院解散、総選挙での鍵は「アベノミクス」の継承|和田政宗

衆院解散、総選挙での鍵は「アベノミクス」の継承|和田政宗

「石破首相は総裁選やこれまで言ってきたことを翻した」と批判する声もあるなか、本日9日に衆院が解散された。自民党は総選挙で何を訴えるべきなのか。「アベノミクス」の完成こそが経済発展への正しい道である――。


【今週のサンモニ】偽善と悪意に溢れたコメント連発|藤原かずえ

【今週のサンモニ】偽善と悪意に溢れたコメント連発|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


なべやかん遺産|「スーパーパワー」

なべやかん遺産|「スーパーパワー」

芸人にして、日本屈指のコレクターでもある、なべやかん。 そのマニアックなコレクションを紹介する月刊『Hanada』の好評連載「なべやかん遺産」がますますパワーアップして「Hanadaプラス」にお引越し! 今回は「スーパーパワー」!


【今週のサンモニ】石破氏を美化していた『サンモニ』|藤原かずえ

【今週のサンモニ】石破氏を美化していた『サンモニ』|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。