大学時代は、もっぱら池袋の「人世坐」と銀座の「並木座」に通っていたような気がする。通ったなどとはオーバーで、だいたい、そんなに殊勝な映画ファンではなかった。
大学の同級生とは、何人かでいまだに月に一度は会っている。それぞれ卒業後の進路がまちまちで、映画を話題にすることもない。学生時代はつるんで飲んでいたのに、一緒に映画を観た覚えがない。
『12人の怒れる男』(57)は、渋谷で友人のひとりと一緒だったけれど、フェリーニの自由が丘も、ヴィスコンティの新宿も、キューブリックの日比谷も独りだった。
そういえば、小学校の低学年のころ、家族と一緒だったり、友だちと一緒だったりしたほか、ほとんど全作品独りで観てきた。薄暗がりのなか、スクリーンに集中するのは、ひとりぼっちに限る。映画というものの本質にかかわる話だと喝破した人がいるけれど、だれだったかは忘れた。
新聞社に入って、どういう風の吹き回しか、映画担当を命じられた。人事とはおおむねそういうものなのだが、あいつにやらせてみるか、ということだったらしい。初めて映画評を書いたのが、『レニー・ブルース』(74)。
社会風刺が売り物のスタンダップ・コメディアンをダスティン・ホフマンが好演した。監督がボブ・フォッシー。大阪に転勤していた時代で、当時、映画と同時に色物(演芸)も担当していた。
そのころ最も印象に残っているのは『木靴の樹』(79)だ。
貧しい農夫が学校へ通う息子のために一本の樹を切って木靴を作ってやるのだが、その樹の持ち主に村を追われるという19世紀末のイタリアの話である。エルマンノ・オルミ監督の三時間余の力作だった。
そこに描かれた複雑にして深遠な人間模様にえらく感動した私は、普段は1行15字で35行の映画評(現在は1行12字で56行)を100行書いた。さすがにデスクもあきれたが、そのまま通してくれた。私は現役時代の自分の記事は一本も切り抜いていないので、いまになって後悔しているのだが、何を書いたものやら、一度読んでみたい気がする。
言いそびれたけれど、私がいままで一番回数を重ねて観たのは、『地上より永遠に』(53)である。
ほとんど全ての作品は一度だけだが、これは10回は観ている(事情があって、『自転車泥棒』 『羅生門』 『勝手にしやがれ』 『市民ケーン』 『東京物語』 『雨月物語』は七回ほど観ているけれど)。学生時代には追っていたような気がする。卒業後は一度も観ていない。なぜそれほど入れあげたのか、自分でもわからない。フランク・シナトラのキャラクターが面白かったし、有名な浜辺のラブシーンもすぐまぶたに浮かぶけれど。
どうやら映画には賞味期限ならぬ旬があって、心憎いキャラクターと鮮烈なワンカットは、映画の全体像、そのテーマを越えて訴えるものがあるのに違いない。
これ、何も映画に限った話ではなさそうだが。
『地上より永遠に』
略歴
あきやま のぼる 1938年生まれ。慶應義塾大学卒。元朝日新聞編集委 員。現在、朝日新聞、映画雑誌『FliX』などに映画評を執筆。