「30年にわたり騙されるだけ騙され、利用されるだけ利用された!」
「(日本大使館前の水曜集会について)憎悪と傷ばかり教え込んだ。寄付も被害者のために使われたことがなく、どこに使われたのか知らない」
「(ユン氏の当選について)私欲のために的外れなところに行った」
「日韓合意で日本が10億円支払ったことも元慰安婦に知らせなかった」
これに対して、ユン・ミヒャン元代表は、自身のFacebookに、如何に自分とイ・ヨンスさんが親しく、日韓合意の日本政府支払いについても共有していたこと、立候補のことも彼女に祝福されていたこと、などを書いてやんわりと反論しました。
ところが、その投稿のなかに、気になる表記があったのです。
1992年に、ユン・ミヒャン元代表が初めてイ・ヨンスさんから電話をもらった時のことを回想しているのですが、イ・ヨンスさんが、蚊が鳴くような声で「私は被害者ではなく、友達なのですが」と言ったと書いてあるのです。これが朝鮮日報の記事にも載りました。
え? それって、イ・ヨンスさんは元々慰安婦ではなかったという意味でしょうか?
重要なポイントなので、韓国語の原文を韓国語話者にチェックしてもらいました。すると確かにそう書いてあるようなのです。まさか、イ・ヨンスさん、いまさら自分は慰安婦ではなかった、と言うのでしょうか?
イ・ヨンスさんと言えば、証言内容がよく変わることで有名なのですが、その活動も相当目立つものがありました。公刊されている資料によると、イ・ヨンスさんは1928年韓国の大邱で生まれ。1944年に慰安婦として台湾に連行され、1947年まで慰安所で拷問を受けたとのこと。
なんと、戦争が終わってからさらに2年も慰安婦をやり、かつ、拷問を受けたのでしょうか。その拷問なのですが、新聞赤旗日曜版2016年12月4日号には、イ・ヨンスさんの証言として次の記述があります。
「私は16歳のとき、日本軍に台湾に連行されました。慰安所の部屋から逃げ出そうとする私を軍人は思い切り蹴り、刀で右太ももをそぎました。私の両手に電話線のようなものを巻きつけました。体にビビビビッと電流が流れ、私は『オンマー(お母さん)』と叫んで意識をなくしました」
元慰安婦と反日団体の正体が露になった?
イ・ヨンスさんのパフォーマンスとして特に有名なのは、2007年に米下院で可決された「慰安婦問題の対日謝罪要求決議」(米下院121号決議)の審議の席上、米国議員たちの前で1時間にわたって泣き叫びながら証言を行ったことです。
その後も、世界を股にかけて慰安婦問題に関する講演、抗議活動、慰安婦像設置運動などに従事し、サンフランシスコ市で行われた慰安婦像設置に関する公聴会にも登場しました。
公的資料によると、イ・ヨンスさんは1992年に元慰安婦として名乗り出た当初、「国民服を来た日本人の男から、ワンピースと革靴をもらってうれしくてついて行った」と証言していたのですが、その後は「日本の軍服を着た男たちによって家から拉致された」というような、強制連行ストーリーに変遷して行きます。
イ・ヨンスさんにお尋ねしたい。これらは全部、お友達の話だったのでしょうか?
まさか、いくらなんでも、いまさらそれはないですよね?
ユン・ミヒャン元代表はなぜそんなことをFacebookに書いたのでしょうか?
イ・ヨンスさんがもし偽慰安婦だったら、ユン・ミヒャン元代表も共犯ということになるはずですが。そのユン・ミヒャン元代表も、あれだけ反米を主張しながら、娘をアメリカの大学に留学させている矛盾を指摘されて批判されています。
また、彼女の夫とその妹が過去に北朝鮮のスパイ容疑で逮捕されて起訴された件も蒸し返されているようです。結局、反日団体の正体が露わになった、ということなのでしょうか。
最初から、「生活に困窮している元慰安婦をみんなで支援しよう」というような活動であるべきだったのに、自分たちを完全な被害者、日本を完全な加害者と規定して一方的に糾弾し、問題の解決を妨げ、利権構造を維持しようとし、その為に高齢のお婆さんたちを利用してきた。
そのあげく、30年間も協力したお婆さんと仲間割れし、「散々騙されて利用された」と非難されると、「実は本人は慰安婦ではなかった」と暴露してしまったのでしょうか?
それが事実なら、あまりにも悲しすぎます。慰安婦問題では、多くの日本人が世界中で迷惑を被り、深く傷つきました。
イ・ヨンスさんとユン・ミヒャン元代表には、本当のことを証言して頂きたいと思います。全てが嘘だったのなら、そう証言してくれれば、世界はその勇気を称えるでしょう。そして、慰安婦問題は今度こそ、不可逆的に解決されることでしょう。