性暴力被害は生涯にわたる残酷な傷となる。真摯に向き合い、国民にその残忍性を共有させるべき大切な主題だ。
なぜそうした主題を、よりによって虚偽のキャンペーンの代名詞とさえなっている従軍慰安婦問題と結びつけるのか。それが、どれほど真の性被害者への理解や同情を妨げることになるか、この人は気づいていないのだろうか。
だが、角田氏の発言における極めつきは次の一節であろう。
「刑事事件でやったら、これはなかなか勝ち目がないというような事件たくさんあるわけですね、本件もそうだと思うんですけども、そういう場合には、じゃあ法的な救済がゼロかというとそうではなくて、もうちょっと緩やかな民事裁判で損害賠償を払わせるという形で責任追及することはできるという、こういう関係になっております。
なんだか怪しげな文書であってもですね、民事事件では証拠になりうるということなんです。誰が作ったかわからないという、作成者の名前がはっきりしない文書であっても、それがどれだけ信用できるかどうかは別として、証拠として持ってきてはいけないというふうにはなっていないということです」
驚くべき発言という他はない。
刑事訴訟に比べ民事訴訟では「怪しげな文書」でも訴えを起こせると、担当弁護士が公の場で発言しているのである。
だが、この民事訴訟は、「怪しげな文書」で起こしていいようなものだったのであろうか。この訴訟で、山口氏は準強姦、強姦、暴行、傷害致死未遂の凶悪犯罪者として告発されているのである。
非力な被害者を極悪な生き地獄から救うために、「怪しげな文書」であっても使えるものは使うというならまだ話は分かる。だが、今回の民事訴状は、私の検証では「怪しげな文書」でさえなく、虚偽そのものだった。
何度も殺せる「情報レイプ」
しかもどこから金が出ているのか知らないが、6名の弁護人が付き、この訴訟によって、凶悪な性犯罪がまるで事実であるかのような印象を社会に与え、その虚偽の風評は反日左翼ネットワークを伝わって、NHK、BBC、ニューヨーク・タイムズ、ル・モンドをはじめとする世界の主要メディアに流布され続けている。
1人の人間とその家族を精神的、社会的に何度殺害できるか分からぬほどの情報レイプであろう。それを角田氏は、いとも簡単に「民事は怪しげな文書でも訴えられる」と言ってのけた。
「性暴力」を糾弾する正義の人は、「怪しげな文書」による「情報暴力」で人を殺すことには何の良心の痛みもないのか。
虚偽の「性被害者」演技で、真の性被害者への理解を歪めても、何の良心の痛みもないのか。
私の道徳的怒りは尋常ではない。
角田由紀子よ、大手メディアという壊れた檻のなかでこそこそ逃げ隠れしながら正義を振りかざすのでなく、私の前に出てきて堂々と公開討論に応じなさい。
逃げ隠れしながらの言論=情報暴力犯罪者を、私は最早放置し続ける気はない。
覚悟しておきたまえ。
著者略歴
文藝評論家、社団法人日本平和学研究所理事長。昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。第18回正論新風賞を受賞。主な著書に『約束の日―安倍晋三試論』(幻冬舎)、『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)など。公式サイト→http://ogawaeitaro.com