「科学否定論」は「面白い」
本書では、こうした科学否定論とマスメディアの関係性についても触れている。
問題は(科学における検証や否定とは異なり)、科学否定論とされるものが、基本的に学術雑誌や学術出版の外側で、科学の理論・方法を経由せずに展開されることだ。多くの場合、それは「専門家」ではない人々によって書かれた一般書(非学術系の出版社による書籍)やブログ、あるいは動画を通じて広められていく。
確かに、「定説を覆す!」式の論文や書籍はそれだけで人の目を引く面がある。出版社や媒体にもよるものの、「定説通りの内容を(分かりやすく)解説しました!」というものよりも、「定説は間違っていた!」というもの、例えば「地球温暖化は嘘だった!」といった逆張りものの方が(メディアによっては)企画として通りやすくなる(成り立ちやすくなる)という面もある。
みんなが知っている当たり前のことを書くだけでは売り物にならない。しかしそれを覆す、一見科学的な議論を提示するものであれば、「ちょっと読んでみたい」という気になるのではないだろうか。
つまり、「科学否定論」は陰謀論と同様に、「面白い」のである。
さらに言えば、「Aだと思っていたらBだった!」という論立ては、Aについてそもそもはよく知らなかったとしても「実はAではなくBが真実」という姿勢をとることで、Aをよく知っている人よりもどこか優位に立っているような気分を味わうことができてしまう。専門家を超えるかのような「知ってる感」を演出できるのだ。
さらに近年、深刻になってきているのは「オルタナティブ・ファクト(代替可能な事実)」という言葉に象徴される人々の認知の問題だろう。「あなたは通説であるところのAを真実だと思っているかもしれない。しかし私はBこそが真実だと思っている。それで何か問題があるのですか」という態度だ。
客観的な認知を他者と一致させる必要がないと考えるようになれば、「科学否定論」は一つの論にとどまらない、別の認知世界を構築してしまいかねないのである。
もちろん客観的事実や科学的論拠に基づく議論にも様々な線引きやグラデーションがあることを本書は指摘してもいる。また、本当の意味では高度な議論の方が「面白い」はずなのだが、高みに到達する前に別の分岐へと流れていく「否定論」には、世間の大多数を占める非専門家にとっては抗いがたい魅力があることも確かだろう。


