地球平面説論者の悲壮感
2018年にNetflixで公開された『ビハインド・ザ・カーブ―地球平面説―』というドキュメンタリーがある(日本では配信終了)。
地球は球体ではなく平面だと信じる「フラットアーサー」たちが国際会議を開き、「世界の真実を知るもの」同士の親睦や理解を深める様子が記録されている。平面説を信じる人たちは真剣そのもので、どこか悲壮感さえ漂うほどだ。
なぜ彼らは地球は平面だと信じ込み、球体であるという事実を受け入れようとしないのか。もちろん「地球は球体」と認識する我々とて、ほとんどは地球の外から地球を見たことがないから、球体であると知識や写真などで知っているだけではある。
しかし宇宙からの写真を見ることも、惑星の原理を知ることもできなかった時代ならいざ知らず、「地球は球体」という事実は様々な客観的証拠から確認することができるし、子供でも理解している常識だろう。
だが、もし地球平面説を信じる人たちから、「見たこともないものを、なぜ信じられるんだ? どこをどう見ても、地球は平面でしかないだろう」と言われたら、どのように答えられるだろうか。彼らは彼らなりに、理論武装して自らの信念を固めているのである。
そうした地球平面論者について一章を割いているのが松村一志『科学否定論はなぜ人を惹きつけるのか―地球平面説から反ワクチンまで―』(ちくま新書)だ。
本書のテーマである「科学否定論」について、〈具体的なイメージを掴むために、その象徴とも言える地球平面説の歴史と論理を見ていこう〉として、その源流から再発見、そして現代に及ぶまでの平面説のあり様を解説していく。
実は線引きが難しい
多くの人にとってはトンデモでしかない地球平面説だが、意外や意外、歴史は極めて長く、科学と宗教の相克や専門家への懐疑、そして「知識よりも自分で見たもの、経験したものを重視する姿勢」など、様々な要因が複合的に折り重なって現代まで生きながらえてきたことがわかる。まさに「地球平面説に歴史あり」なのだ。
そして「定説を疑う」「科学的に正しいとされることを論駁する」姿勢は、地球が球体か否かにとどまらず、地球温暖化やたばこの害についての認識、ワクチンの効果と被害、また人文科学の領域である歴史否定などにも影響を及ぼす。
本書は、そうした「否定論」がなぜ生まれるのか、また科学的検証とどのように線引きし得るのかなどについてつまびらかにしていく。
そもそも「科学否定論」とは何か。
〈科学の理論や方法あるいは制度を全面的に否定するのではなく、あくまでも科学の通説にターゲットを絞って〉否定するものであるため、通説を否定する際には科学的にも見える論理や手法を使うことも厭わない。
そこには本物の科学とそうでないものの違いが存在する。査読付きの論文や科学的に非の打ち所のない検証によって通説を否定するのではなく、自説に都合の良いものだけを選択したり、陰謀論に片足を突っ込んでいたりする場合に、その通説への反論が「科学否定論」と見なされるのだ。
しかし、本書も指摘するように、その線引きは難しい。しかも「科学否定論」は学術界では相手にされなくても、一部では通説・定説以上に支持されることもあるのだ。
これはまさに本書のタイトルである「科学否定論はなぜ人を惹きつけるのか」という問いにかかわってくる。

