上高地はしっとり潤んでいる。さっきまでの雨に洗われて、周りの滴るような木々の葉がいっそう艶やかに目に映る。緑に煙る山肌からは白いもやが立ちのぼり、ゆらゆらたなびいている。
「雨の日ならでは、の上高地を楽しみましょう」
と、ガイドのさくらさん。「ネイチャーガイド・ファイブセンス」の早朝散策ツアーである。出発時刻は朝6時、河童橋のたもとから。雨模様ということもあって、ひとはまばら。これほど静かな河童橋というのも貴重だ。
遊歩道のわきの倒木にみっしりと苔がついて、そこに根づいたスミレが一輪、花を咲かせている。さまざまにさえずる小鳥の声が降ってくる。コガラにヒガラ、キビタキ、アカゲラ。私にはまだ聞き分けができないけれど、できたらできたで忙しい散歩になりそうだ。いつかはその姿を見たいと願っているコマドリの、長く引っ張る高い声も、まるで山の向こうからのように、遠くに。
春は鳥たちの恋の季節で、賑やかによくさえずるので見つけやすい。また木立の葉も若くて小さく、鳥の姿がさえぎれられないから観察にはぴったりなのだそうだ。
笹やぶに突き出した枯れ木の枝に止まっていたウグイスと、ピンポン玉ほどに小さいミソサザイ、それに岳沢湿原を仲良く泳ぐオシドリのペア。さくらさんに教えてもらいながらとはいえ、これだけの鳥の姿を見ることができたのだから1時間の散策にしては上々だ。
朝食の後は、松本市在住で飲み友達のなっちゃんが上高地にやって来たので、一緒に歩く。上高地の美化活動などをするパークボランティアを務めるなっちゃんにも、この季節の花や鳥のことを教えてもらう。はるか頭上の木のまたにできたコサメビタキの巣や、コマドリがよく姿を現すという場所も。コマドリが現れるところといえばガイドマップにも載っている有名なスポットがあって、そこで大きなカメラを構えているひとをよく見かけるのだが、今回教えてもらったのはそこではない。コサメビタキの巣の場所も、新しいコマドリスポットも、当然ながらひみつである。
雨に濡れたコナシの花
なっちゃんに教わった散策のコツ
最終日、もう一度あの小道を歩いてみる。ニリンソウの間に小さな黄色い花を見つけて、なんだろうとスマートフォンの写真を開く。小梨平にあるビジターセンターで「開花情報」として、ちょうどそのころに咲いている花の写真が貼り出されているのを写真に撮っておいたのである。目の前で咲いている花ならば図鑑よりも探しやすいと、なっちゃんに教えてもらった新しいひみつ……いや、散策のコツである。
なんと、この黄色い花はネコノメソウというらしい。黄色い猫の目の色に似ているからだろうか。……あれ? 「開花情報」によるとネコノメソウの種類にも、ツルネコノメソウ、ヤマネコノメソウ、などなどたくさんあるようだ。うーん。特定するのはまたの機会にしよう。
ふいに笹やぶがガサッと動いた。ウグイスだ。やぶの中をホッピングしながら移動している姿が見える。あわててスマホを取り出そうとするが、こういう時に限ってなかなか出てこない。カメラ機能にしようともたもたしているうちにバサリと羽音がして、あっという間にどこかへ飛んでいってしまった。
どうしていつも、上高地にはこんなに新しい発見があるのだろう。3000メートル級の険しい高山の山あいに、奇跡のように開けた小さな土地。その美しさとは裏腹の自然の厳しさから、人間がここへやって来るようになったのはほんの200年ほど前からに過ぎない。ひとがこのひみつの場所に入るのを許されるようになってから、それくらいの時間しか経っていないということだ。
きちんと鍵をかけておくと約束すれば、自然はそのひみつをもっと、そっと垣間見せてくれるのかもしれない。小道を抜けて歩いていくと、散策を楽しむたくさんのひとの間を白い綿毛が舞っていた。花を終えたヤナギが種を包んで飛ばす綿毛。春から初夏へ、季節が移り変わっていく。
(訪問日:令和8年5月22日~25日)
※note「瀬戸内みなみの『猫とおさんぽ』」より転載
何かの種類のネコノメソウ

