このナワリヌイカルトには、だんだん腹が立ってきた。まるで、ナワリヌイが、左派と民主党がウクライナ支援策を売り込むための「使える死体」(筆者注:「使える馬鹿」という政治用語を文字っている)になったかのようだ。「ナワリヌイの血はあなたの手に」「ナワリヌイにあんなことがあったのに、どうして反対票(筆者注:ウクライナ支援への)を投じるんだ?」何とかかんとか(と言いながら)
また、トランプ支持者たちは「一方で1月6日(※筆者注:いわゆる連邦議会議事堂襲撃)関係の人たちは刑務所で苦しんでいる!」などとも反応している。ここで彼らが言いたいことは、連邦議事堂「襲撃事件」で逮捕された人々は真の愛国者であり不当に弾圧されたという前提のもとに、ナワリヌイには同情してこちらを弾圧しているのはダブルスタンダードだという主張だ。
トランプ支持者からすると、ナワリヌイとは、「体制の力により獄中死させられた反体制派、つまりアメリカで言えばトランプが置かれている立場」ということになり、「アメリカからウクライナ支援を引き出すための『使える死体』になっている」との位置付けなのだ。
しかし反対に、同じ共和党でもヘイリーやその支持者にとっては、「自由を求め勇気に溢れていたナワリヌイへの直接的な言及をせず、今のアメリカを悪く呼び、凶悪な政治家であるプーチンを非難しない」トランプは異常だ、という位置付けなのだ。
選挙戦の観点で見ると、以前拙稿(ハマス奇襲攻撃を予言したトランプ、評価が急上昇|石井陽子)で解説したハマスのイスラエル攻撃に続いて、ナワリヌイを巡る件でも、ヘイリーはトランプとの違いを色濃く見せつつ、保守やネオコンから左派まで幅広く抱え込むことができる論調であるため、今がチャンスと言わんばかりの積極的で力強い発信が見られた。
ドナルド・トランプは、ウラジーミル・プーチンが人殺しの凶悪犯であることを非難できたはずだ。ナワリヌイの勇気を称えることもできただろう。その代わりに、彼はリベラルのプレイブック(※筆者注:作戦、脚本)を盗み、アメリカを非難し、わが国をロシアと比較した。
私たちには、ありのままをありのままに言える道徳的明晰さを持ったリーダーが必要だ。プーチンは友人ではない。彼はナワリヌイを殺した殺人独裁者だ。なぜドナルド・トランプはそれを口に出して言えないのか?