「海自との連携」を推す声
尖閣沖にやってくる中国海警への対処が厳しくなればなるほど、増してくるのが「海上自衛隊との連携強化」を推す声だ。特に安全保障の知識がある人たちの中から、強く聞こえてくる。
もちろん、本書でも説明があるように、海保と海自は日頃から連携はしているし、有事の際には総理の決断によって、海保は防衛大臣の統制下に入ることになっている。ここから、「より連携を深めるべき」「日頃から一緒に行動すべき」「燃料や武器も共通のものを使うべき」との意見も出てくるようだ。
だが本書で奥島氏はこうした意見に反論する。これらは「本当の海保の役割や強みを知らない」からこそ出てくる意見だというのだ。
確かに有事の際に海保は防衛大臣の統制下に入るが、海自と同じ行動をとるわけではない。むしろ、海自が本来の任務、仮に日本に対する武力攻撃に対処する事態となれば、海自が敵勢力の殲滅(無力化)に専念できるように、海保は住民の避難・救援などの国民保護措置や、海上における人命保護の役割を果たす。
こうした役割分担を、同じ統制下で行うからこそ意味があるのであって、そもそも海保は「武力攻撃に対して海自と一緒に〝戦える〟組織」ではない、ということなのだ。
海保はあくまで警察組織であり、法執行機関。この辺りの区別がついていない人が多いこと、しかも「安全保障に一家言ある人」の中からそうした意見が出てくることに、奥島氏が頭を悩ませていることが本書からは伝わってくる。
「非軍事組織」であることの意味
その最たるものが、海上保安庁法第25条の存在だ。この条文は、海保がいかなる場合にも軍事組織にはならないとの規定を定めている。
「この条文があるからこそ、海保と海自が真の意味で連携できないのだから、もはや削除すべきだ」
そうした声も近年高まっている。もちろんアイデアとしてそうした観点から法律について考えることに問題はないわけだが、奥島氏は一冊を通じて、徹底して「海保法25条削除論」に異を唱えている。
その理由の最も大きなものは、「非軍事組織」であるがゆえに東南アジアを中心とする諸外国と能力向上支援などで連携できているという実態だ。
「非軍事組織だから信頼されるなんて、軍事組織である自衛隊に対する当てつけか」という声もあるかもしれないが、これも本書を読む限り、当てつけではなくあくまでも役割の違いを強調しているに過ぎない。
憲法9条のせいで「軍事組織(軍隊)」であることを誇りに思えない状態に留め置かれているからこそ、海保との間でこうした「軍事か、非軍事か」の軋轢が生まれてしまうのはこの上なく不幸なことだ。だが、「条文削除」を訴えるなら、海保25条より憲法9条の第2項の削除を訴えるべきだろう。
さらに奥島氏が、安倍政権下で提唱された「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を挙げているのは注目だ。
法の支配に基づき、インド太平洋地域の安定を図るには、海上自衛隊のみならず、海保という法執行機関の活躍できる領域も広い。だからこそ安倍政権も、海保の軍事化を目指すのではなく、むしろ非軍事組織のまま法の支配に資することのできる海保であれと、予算増や人事改革に臨んだのだとわかる。