「生え抜き長官」渾身の書
海上保安庁長官の職には、組織発足以来長らく国交省の役人が座ってきた。背広組の中でも国交省と旧運輸省の事務次官になれない人の第2ポスト、と位置付けられていたという。
海上保安大学校を出た現場経験者、つまり制服組がその座に初めて就いたのは2013年のことで、安倍政権下で、菅官房長官が主導。船の整備、人員確保、予算増と同様に、海上保安庁を強化する施策の一つとして実施された。
本書『知られざる海上保安庁―安全保障最前線』(ワニブックス)の著者である奥島高弘氏も、2020年に現場から長官に就任した「生え抜き長官」の一人だ。
海上保安庁の機能強化の背景には、言うまでもなく中国との尖閣諸島をめぐる激しい応酬がある。2010年の尖閣沖漁船衝突事故と日本政府による尖閣諸島の国有化を受けて、中国は尖閣周辺での活動を活発化させ始め、年々状況はエスカレートしている。
これに文字通り「最前線」で対処しているのが海上保安庁だ。だが、帯に〈この組織のこと、日本人はほとんど知らない〉とあるように、海保が直面している現状の本当の厳しさはもちろん、海保の役割、位置づけがどのようなものかは、確かに詳しく知られてはいない。先に述べた海保の長官人事が話題になったのももはや10年以上前のことだ。
本書は「日本がほとんど知らない」海保について、その任務や法的位置づけを詳しく説明するとともに、「きちんと知られていないがゆえに広まっている誤解」についても指摘している。
日に日に厳しくなる環境
テレビドラマなどをよく見る人たちの間で知られている海上保安庁は、人命救助を行う潜水士を主役に据えた『海猿』のイメージや、水中事故を捜査する架空の組織である「Deep Crime Unit(潜水特殊捜査隊)」を描いた『DCU』のイメージだろう。
しかしその任務の領域は広く、密輸や密漁の取締、領海警備、海洋環境の保全、航行管制、海洋調査など多岐にわたる。年明けすぐの能登半島沖地震で物資輸送のために離陸準備をしていた海上保安庁機が日航機と衝突し海保職員5人が死亡する事故があったが、この地震に対して海保は防災業務や給水支援を行うと同時に、地震で隆起した海底地形の調査も行っている。
日本の領海・EEZ(排他的経済水域)の総水域面積は世界第6位の広さだが、これを海保は約1万5千人の人員でカバーしている。これはだいたい神奈川県警の警察官と同じ人数だといい、この人員で広い海上の治安を維持するのはまさに至難の業。
もちろん、先の安倍政権下での施策も相まって、海保の予算は年々大幅増額することが決まっている。人員もわずかずつだが伸びている。だがそれと同時に担うべき任務も増えているのである。