セクハラ被害者を救援する女性たちを攻撃
矢野氏が東福寺の修行を「諸縁放下」として『京都新聞』のコラムが掲載された翌月の1月26日、矢野氏の「キャンパス・セクハラ」を追及する女性たち(大越愛子・近畿大学助教授ら5人)が、東福寺の福島慶道管長に面会した。
「矢野暢・京都大学東南アジア研究センター前所長のセクシャル・ハラスメント疑惑事件の徹底究明を求める大学教員の会」が集めた署名を福島管長に手渡した。
その席で、福島管長は「やはり、ここにいてもらってはいかん、ということで出ていってもらいます。はっきりいうて、矢野先生が入ってきたために東福寺の名に傷がついた。入るのを私が認めたわけだから、私の責任で何とかします。それよりも私は、矢野先生はやっぱり相手の人にそれこそ誠意ある対応をしたらよいと思います。非常に残念な気持ちです。だけど世界に誇る京都大学で、なんでこんなことが今まで放置されていたのか驚きました」と語っている。
京都大学前学長らから頼まれたので、矢野氏を受け入れたが、出て行ってもらうのも福島管長の責任だと言うのである。
これに対して、抗議に訪れた女性たちを〈夜叉の相貌を露にした彼らの荒い息づかい〉と表現し、〈女人の要求(私怨)に理解を示し、くだんの居士を寺から追放すると言明した〉などと福島管長に不満を述べたのが川勝知事である。
福島管長が「矢野先生はやっぱり相手の人にそれこそ誠意ある対応をしたらよいと思います。非常に残念な気持ちです」と述べたことを当然、川勝知事も承知していたはずだ。
それなのに、〈京雀にもてはやされる管長、片や髭を生えるにまかせ厳しい修業生活で世俗心をすっかり洗い落としたかに見える新到の雲水〉と書いている。当時の『フォーカス』を探すことはできなかったが、もし、禅寺の僧堂に入るならば、ちゃんと剃髪して髭を生えるのにまかせるなどもってのほかである。
川勝知事が「あとがき」を記したのは、セクハラ疑惑発覚から1年以上もたっている。事実関係はすべて明らかになっていた。それなのに、一方的に矢野氏を信用して、被害者の救援に当たる女性たちを「夜叉の相貌を露わにした」「女人の要求(私怨)」などと貶めてしまう姿勢はいまと全く変わらない。
(次回、詳しく川勝知事の本性について紹介する)
「静岡経済新聞」編集長。1954年静岡県生まれ。1978年早稲田大学政治経済学部卒業後、静岡新聞社入社。政治部、文化部記者などを経て、2008年退社。現在、久能山東照宮博物館副館長、雑誌『静岡人』編集長。著作に『静岡県で大往生しよう』(静岡新聞社)、『家康、真骨頂、狸おやじのすすめ』(平凡社)などがある。