センシティブな海域を航行
中国社会史の学者である上田氏がこの『戦国日本を見た中国人』を著したのも、鄭舜功と通じる思いがあったからに違いない。当時以上に、現在の日中関係が特に安全保障面で日増しに摩擦係数を高めているからだ。
広州を出発し日本に向かう鄭舜功が通った航路は、現代日中の状況からするとかなりセンシティブな領域だ。なにせ、金門島の前を横切り、小琉球と呼ばれていた台湾をかすめ、尖閣諸島、奄美大島を通過し、屋久島へ向かうのだから。現代であれば、中国海軍の影響力を排除せねばならない海域である。
こうした古文書や古地図に記された地名の記載は、領有権問題の検討材料として使われることも多い。上田氏は「近代以降の領土問題について、前近代の16世紀史料の記載を巡って議論する」風潮に疑問を呈す。
当然というべきか、鄭舜功も後世とは違って暢気なもので、船旅中に島の周辺で観察したトビウオについて書き残している。一方で、帰路は大荒れ、船倉に穴が開き、沈没寸前。何とか免れるや、飲み水が不足したりと命からがら帰国したのである。
にもかかわらず、政争に巻き込まれたのか帰国後に投獄されてしまうわけだが、しかし7年の月日が鄭舜功に大著を書かせたのだし、上田信氏のおかげでその書物の内容を、現代の私たちが読むことができるのは実にありがたい。〈最期は未詳〉とされる鄭舜功もこれで少しは浮かばれるのではないか。
グローバルだった戦国時代
本書は鄭舜功の足跡をたどり、そのルポを紹介するだけでなく、16世紀の日明関係を紹介し、「海の戦国史」を中国の視点を交えて提示してもいる。
ルイス・フロイスの『日本史』など西洋の視点を盛り込んだ「グローバル戦国史」という史観は広がりつつある(安部龍太郎氏の小説『家康』(幻冬舎文庫)もそうした史観を意識して書かれている(下記リンク参照)。
そこへさらに「中国大陸」との関係が入ることで、戦国時代に対する理解は深まるだろう。本書でも、戦略物資である火薬や硝石が中国や東南アジアのルートから堺港に運ばれたことが記されている。そもそも、鉄砲を持って種子島にやってきたポルトガル人は、中国人倭寇の船に乗っていたのだ。
貿易だけではない。「乱暴だと思われている日本人とだって、本質を知って付き合えば、交流の道がある」……そう考えた鄭舜功の目に映った日本人について、彼がどう綴ったかは第3章に詳しい。ポルトガル人らに負けない、鄭舜功の観察眼が光っているので、ぜひお読みいただきたい。
日本人は刀にどんな思いを込めたのか。あるいは切腹や葬式の様子など、現代日本人と文化や習俗は大きく違うが、しかし「やはり同じ日本人だ」と感じる記述に出会うだろう。
【著者に聞く】安部龍太郎『家康』(第一巻発売時インタビュー) | Hanadaプラス
https://hanada-plus.jp/articles/1249大河ドラマ『どうする家康』が放送中で注目を集める徳川家康。信長でもなく、秀吉でもなく、なぜ家康が戦国最後の覇者となれたのか――直木賞作家・安部龍太郎が挑む、かつてない大河歴史小説『家康』は2015年にスタートし、2023年2月で最新刊8巻が刊行。『Hanada』2022年5月号では最新インタビューが掲載されていますが、『Hanada』プラスでは記念すべき一巻発売時(2016年)のインタビューを特別掲載!