たとえば、スペイン現国王は789年即位のペドロ一世の子孫だし、フランスでは王位は失っているが、987年に即位したユーグ・カペー王から現在に至るまで男系男子しかも嫡系で王家が続いている。
英国でも始祖であるノルマンディー家のウィリアム一世から、フランスのプランタジネット家、ウェールズのテューダー家、スコットランドのステュアート家、ドイツのハノーバー家、同じくサックス・コーバーグ・ゴータ家(ウィンザーと改名)と変遷してきたが血はつながっている。
サックス・コーバーグ・ゴータ家は、19世紀のヴィクトリア女王の夫であるアルバート公実家の姓だ。ただ、第一次世界大戦時に、敵国との絶縁を示すためにジョージ五世が居城の名を冠したものに変えた(正式の王宮はセントジェームズ宮殿、公的住まいはバッキンガム宮殿、私邸はウィンザー城)。
継承原則は、フランスやドイツ圏では男系男子嫡系が原則だ(フランク族の慣習法の名をとってサリカ法典方式という)。フランス王位を女系での関係を理由に英国王が狙って英仏百年戦争が起きたが、ジャンヌ・ダルクの活躍で跳ね返した。
1936年、英国皇室では、エドワード八世が、米国人の離婚経験者でドイツ高官と不適切な関係もあったシンプソン夫人との結婚に固執して退位させられ、「王冠を懸けた恋」といわれた。弟のジョージ六世が準備なく国王となったが戦争のストレスもあって早死にしている。
その長女のエリザベスは七歳にして王位継承予定者となり、丁寧な帝王教育を受け、即位後も大貴族出身のチャーチル首相から容赦なく鍛えられた。おかげで女王としてはほぼ完璧で、英国女王としてだけでなく、英連邦のまとめ役として独自の才覚で瓦解を防いだ。
しかも、13歳のときに出会い一目惚れした遠縁のフィリップ殿下と結婚し、三男一女を得た。ただ、子育てには、関心や時間をあまり割かず、これが王室の混乱の原因となった。
現在の継承順位
チャールズ国王が即位する場合に王家の名をどうするか。1957年に王朝名としてはウィンザー家のままにするが、殿下の称号を持たないエリザベス女王の男系子孫はフィリップ殿下の実家の名前を採り入れてマウントバッテン・ウィンザーを姓とすることにした。国王などが氏名を名乗るときは、どうなのか玉虫色だ。
フィリップ殿下は、生まれたときはギリシャ王家(デンマーク王家の分家)の一員だったので、「ギリシャとデンマーク王子であるフィリポス殿下」だったが、父系をたどっていくと北西ドイツのグリュックスブルク家である。
結婚に備えて、英国に帰化し、同時に、ギリシャ正教から英国教会に改宗。ギリシャとデンマークの王位継承権を放棄し、母方実家のマウントバッテン(ドイツ語ではバッテンベルク家だが叔父が英国に帰化して英語風にした)に改姓して外国名を避けた。
結婚したときは、王配殿下(プリンス・コンソート)として国事にかかわれると思っていたのだが、当時のチャーチル首相は、好ましくないと考え、肩書きを与えず、単なるエジンバラ公にとどめた。
チャーチル引退後に、英国公(プリンス・オブ・ユナイテッド・キングダム)という称号を与えられ、これを「王配」と訳す人もいるが、これは誤訳だと思う。いずれにせよ、他の欧州諸国でも女王の夫というのはとても面倒な存在になっている。
王位の継承資格は、ウィリアム一世の子孫であるほか、17世紀の宗教紛争のあと、「(ステュアート家の初代である)ジェームズ一世の孫娘であるハノーバー公妃ゾフィーの子孫で、プロテスタント」として、ステュアート本家やカトリック教徒が排除されたが、2011年時点で4973人が資格を持つ。
英国では伝統的に男子優先だが、男子がいない場合には姉妹の子孫が継ぐという原則だった。ただ、2015年に発効した王位継承法の改正で、男子優先が撤廃された。ただし、従来の順序は変えないともした。
その結果、現在の継承順位は、ウィリアム皇太子、ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子、ヘンリー王子、アーチー、リリベット、アンドルー王子とその子孫、エドワード王子とその子孫、アン王女(エリザベス女王の第二子だが弟たちの次のまま)とその子孫、マーガレット王女(エリザベス女王の妹)の子孫である。