欧州事情に疎い日本
フランスの大統領選挙決選投票(四月二十七日)で、中道派で現職のエマニュエル・マクロン大統領(共和国前進)が、極右のマリーヌ・ルペン候補(国民連合)を破って当選した。
マクロンが五九%、ルペンが四一%で、最終段階の世論調査通りだったが、四月初めに僅差だった時期もあり、五年前に同じ組み合わせで争われた時には、ほぼダブルスコアでマクロンが勝利したことを考えればルペンの大健闘である。
もし、ルペンが勝っていたら、EUやユーロからの脱退はできないとしても、各国の自主性の回復を要求していただろう。NATOの軍事機構からの脱退やロシアへの制裁の緩和を唱えており、ウクライナ情勢にも大きな影響を及ぼしたはずだ。
二期目のマクロン大統領がどこまで指導力を発揮できるかは、六月十九日の総選挙結果にも左右されるが、大きなハプニングがなければ、強い大統領権限を背景にドイツのメルケル前首相に代わるヨーロッパの指導者として君臨することになろう。
フランスに限らずヨーロッパの政治事情に日本人は疎い。たとえば、保守・革新(リベラル)と右派・左派は同じなのか違うのかについて説明できる人はほとんどいない。
また、それほど過激なことは言わなくなったルペンがどうして「極右」と呼ばれるのか政策を見ても理解できないだろう。なぜフランスやドイツではロシアに融和的な政治家が少なくないのかについても疑問に思う人が多い。
そこで、本稿では日本人にとってそういう腑に落ちない話も含めて、この大統領選挙の意味、ヨーロッパ政治の今後、ウクライナ情勢など世界への影響、そして日本の政治の将来へのヒントなどを明らかにしたい。
右派・左派はフランスが元祖
伝統的に日本では、中道のイメージが好まれ、自民党が右派を名乗ることはなかった。保守を政党名にして成功したことはなく、自民党でもリベラル(自由)が党名に入っている。野党でも、革新とか左派と呼ばれることは共産党やそれらと共闘を図る人しか好まず、最近は共産党に近い人たちまでがリベラルを名乗る始末だ。
歴史をたどると、保守・リベラル・革新という概念は、英国政治を説明するための分類であり、左派・右派はフランス革命のなかから生まれた。
英国では伝統的に保守党(トーリー党)と自由党(ホイッグ党、現在は自民党)が二大政党だったが、二十世紀になって労働党が台頭し、自由党に代わって二大政党の一翼を占めるようになった。
米国では、共和党が連邦主義で民主党が州権主義だったのだが、世界的に流行した左派思想を取り入れるために、共和党ではセオドア・ルーズベルトなどの進歩主義(プログレッシブ)が台頭。公正競争や環境重視を打ち出し、それに対抗して民主党が社会福祉重視や人種平等を支持、リベラルを名乗るようになった。
そして、今度は共和党が市場経済、キリスト教的道徳、米国の歴史を尊重することを求めて保守を名乗り、トランプはそこに米国第一主義を加えた。共和党がリアリズム、民主党が理想主義という傾向もある。
この結果、都市部で民主党、南部など農村部で共和党が強いという一世紀前と逆転した政治地図になっている。
フランスでは、日本に似た政治地図でもあり、少し詳しく説明したい。
一七八九年の革命後の議会で、穏健派が議場の右側、革命派が左側に座ったので右翼・左翼という言葉が生まれた。その後、君主制に戻ったが、ブルボン家、オルレアン家(一八三〇年から四八年の七月王制)、ボナパルト(ナポレオン)家のどれを担ぐかで争った。
ただ、普仏戦争(一八七〇年)のあとの第三共和政の初期には、オルレアン家を支持する王党派が右派、共和制を支持するのが左派だった。
しかし、間もなく共和制が定着し、フランス革命をもって建国と受け止められるようになる。その枠内での保守派、自由主義者やキリスト教民主主義者(公明党に似ている)などの中間派、社会主義者(やがて社会党と共産党に分裂)が、右派、中道派、左派と呼ばれるようになった。
しかし、なお王党派もいたし、新たに零細業者などを基盤とするポピュリストが台頭して極右、また、無政府主義者などが極左と呼ばれるようになった。共産党が極左と呼ばれないのは、この経緯があるからだ。