女王は公務において重要な役割を与えられなかったフィリップ殿下に子育てを任せたのだが、彼も母国ギリシャからの追放、父親の放蕩、それに起因して病んだ母親が修道女となるといったことで親としてのノウハウに乏しかった。
そのため、気が弱い長男チャールズに合わないスパルタ教育を施し、結果はよくなかった。また、アン王女はモントリオール五輪に馬術で出場し、公務もよくこなし、五輪金メダリストと結婚し2児をもうけたが不倫して離婚し、その相手と再婚している。
アンドルー王子はフォークランド戦争で活躍したが、離婚後、放蕩に走り、米国の実業家エプスタイン氏の仲介での未成年者とのセックス・スキャンダルで訴えられ、公務から退かされた。幸いにも末っ子のエドワード王子一家は悪い評判もなく、王室を支える存在として重宝がられている。
チャールズは、母親代わりになる女性を求め、ポロや狩猟が好きで、古典的な教養人という共通項があるカミラ・ローズマリー・シャンドに惹かれた。年上で華やかな容姿とはいえず、国民がもつプリンセスのイメージでなかったので、求婚に踏み切れないうちにカミラは別の男性と結婚した。
妃選びでは大叔父のマウントバッテン卿が、大衆紙の餌食にならないようにと「処女であること」を絶対条件としたのに従い、婚約当時は20歳にもならなかったダイアナ・スペンサーと結婚した。
余り気乗りはしなかったが、「五十年は続く人生で最も責任ある物事の一つ」であって、「狂ったような恋に陥るというよりは強い友情」と割り切っていた。
ウィリアムとヘンリーという2人の男子が生まれたが、ヘンリー王子が誕生した際、当時皇太子だったチャールズ国王は、出産したばかりのダイアナ妃に「素晴らしい! 君は僕に王位後継者とスペアを産んでくれた。僕の仕事は終わった」と語ったらしい。
カミラの手腕
一方、父母が幼い頃に離婚したこともあって世知には疎いダイアナは、おとぎ話のような王子様との結婚を望んで、華やかで楽しいパーティー、リゾートでのブルジョワ的な遊び、派手なショッピングを好んだが、それはチャールズの趣味ではなかった。
また、映画スターのように扱われるのが嬉しくてサービス精神旺盛だったので、チャールズは目立ちすぎないようにいったが、ダイアナは聞き入れなかった。一方、狩猟だとか乗馬とか王室の人々の遊びは好きでなかった。
そして、チャールズにカミラという人妻の愛人がいることを知り、精神の平衡を失って、慰めてくれる多くの男性と関係を持ち、やがて離婚した。BBCの記者に騙されて告白などしたことも墓穴を掘った(ヘンリーの父は愛人のひとりのヒューイット少佐という噂があり、これをチャールズは冗談めかしてヘンリーに話したのでヘンリーは傷ついた)。
結局、1996年に離婚したが、条件は非常にダイアナに有利なもので、ダイアナはプリンセスの肩書きを維持しながら遊び歩んだり、慈善事業などでスポットライトを浴びながら人生を謳歌したが、1997年にパリでの交通事故で36歳で死去した。再婚を噂されていたアラブ人富豪のアルファイド氏と一緒だった。
もしダイアナが先に再婚していたら、チャールズとカミラの再婚もさほど問題なかっただろうが、悲劇的な死ののちダイアナは聖女のように扱われたので冷却期間が必要で、2005年になってやっと女王から再婚の同意が得られた。
しかし、短気で潔癖症であるチャールズの手綱を巧妙に締めて皇太子として無理なく務めを果たさせたカミラの手腕や辛抱強さは徐々に評価され、2022年の即位70周年のメッセージで女王は「チャールズの即位後、彼女がクイーン・コンソート(王妃)と呼ばれることを望む」と声明した。
ヘンリーも兄と一緒に父親がカミラと再婚することに反対したと言いつつ、「意地悪な継母ではなかった」ともいっている。だが、ウィリアムも子供たちにお祖母ちゃんと呼ばせていない。