【読書亡羊】「情報戦」の最前線、中露は何を仕掛けてくるのか 小泉悠・桒原響子・小宮山功一朗 『偽情報戦争――あなたの頭の中で起こる戦い』(ウェッジ)

【読書亡羊】「情報戦」の最前線、中露は何を仕掛けてくるのか 小泉悠・桒原響子・小宮山功一朗 『偽情報戦争――あなたの頭の中で起こる戦い』(ウェッジ)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!


自家中毒に陥るロシア

だからと言って油断は禁物だ。第三章ではロシアの軍事を専門とする小泉悠氏が、ロシアの情報戦の根底にある理論や世界観を解説。

「ハイブリッド戦」の端緒となった2014年の対ウクライナ、そしてトランプ大統領誕生に寄与した2016年の米大統領選への情報による干渉を成功例として紹介する。その目的は「一方向に世論を誘導する」ものではなく、「何が真実かは分からない状態を作り出す」ことであると指摘している。

ただし、一度流れ出せばコントロール不能になるのが情報の怖いところでもある。四章で小泉氏が解説しているが、ロシアは西側諸国の人々が政府に対して信頼感をなくすことを企図して反ワクチン情報を流布したという。

ところが当のロシアでもワクチン接種率が上がらない。ロシア発の反ワクチン情報が回り回ってロシア国内にも広がった可能性を小泉氏は指摘する。

確かに、同様の指摘がある。「政府を疑え」「ディープステートが国家を牛耳っている」と叫ぶアメリカのQアノンが真に受けているディスインフォメーションがロシア発であることが指摘されているが、当のロシアでもこうした価値観が広まり、ロシア版Qアノンが誕生。「プーチン、ロシア政府は信じられない」「ウクライナ侵攻は間違っている」と言い出す人たちが現れた、という(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/04/tvq.php)。

小泉氏は情報を「速度や広がりを完全には統制できない、放たれた先で増殖する生物兵器」になぞらえているが、まさにロシアは自らが放ったウィルスに感染してしまったのかもしれない。

Getty logo

最後の砦は個人のリテラシー

さらに本書が面白いのは、情報戦の舞台(土台)になる「通信インフラそのもの」にも注目していることだ。

第五章で小宮山氏が、有事の際に物理的破壊だけではなく、世界のネットワークから切り離される危険性や、海外企業が運営母体であることも多いSNSがどのような「情報規制」を行うか分からない、という不確定要素など、情報ツールとしての問題点を指摘している。

そして、情報の流れを重視する中国発の「デジタル版一帯一路」が、有事の際に果たしてどのような機能を発揮するだろうか、との警鐘を鳴らしてもいる。

一個人が自由に全世界に自分の声を公開することができるようになった一方、特定の意図を持った集団が、全世界の一個人の認識や世界観(ナラティブ)を歪ませ、判断を誘導することができるようになってしまった現代。

政府の取組みも待たれる一方、本書でも指摘があるように、民主主義国家では政府が情報を規制することは難しい。情報統制を厭わない中露が優位になるのは当然という条件下で、日本はどう戦うべきか。

結局のところ、受け手として考えた場合には、個人個人の自己防衛が最後の砦となる。メディアリテラシーやファクトチェックの教育はもちろんだが、「相手が情報戦を仕掛ける際、どのあたりを突いてくるのか」という敵の動向を知ることも重要になりそうだ。 

関連する投稿


【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは  謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは 謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


人権弾圧国家・中国との「100年間の独立闘争」|石井英俊

人権弾圧国家・中国との「100年間の独立闘争」|石井英俊

人権弾圧国家・中国と対峙し独立を勝ち取る戦いを行っている南モンゴル。100年におよぶ死闘から日本人が得るべき教訓とは何か。そして今年10月、日本で内モンゴル人民党100周年記念集会が開催される。


【読書亡羊】雑誌「冬の時代」が過ぎて春が来る?  永田大輔・近藤和都(編著)『雑誌利用のメディア社会学』(ナカニシヤ出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】雑誌「冬の時代」が過ぎて春が来る? 永田大輔・近藤和都(編著)『雑誌利用のメディア社会学』(ナカニシヤ出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】世直し系YouTuberは現代の鼠小僧なのか  肥沼和之『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】世直し系YouTuberは現代の鼠小僧なのか 肥沼和之『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】戦後80年目の夏に考えるべき「戦争」とは  カルロ・マサラ『もしロシアがウクライナに勝ったら』(早川書房)|梶原麻衣子

【読書亡羊】戦後80年目の夏に考えるべき「戦争」とは カルロ・マサラ『もしロシアがウクライナに勝ったら』(早川書房)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


「自動車王」も「英雄」も見事にはまった“陰謀論”|松崎いたる

「自動車王」も「英雄」も見事にはまった“陰謀論”|松崎いたる

「単なるデタラメと違うのは、多くの人にとって重大な関心事が実際に起きており、その原因について、一見もっともらしい『説得力』のある説明がされることである」――あの偉人たちもはまってしまった危険な誘惑の世界。その原型をたどると……。


埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】

埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。


【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】

【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。


【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは  謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは 謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】

TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。