【読書亡羊】ポリコレが生んだ「日本兵」再考の歴史観 サラ・コブナー著、白川貴子訳『帝国の虜囚――日本軍捕虜収容所の現実』(みすず書房)

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その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評! 今年もよろしくお願いいたします。


変わってしまった「日本人の認識」

確かにかねて不思議に思っていた。日露戦争の時にロシア兵捕虜を丁重に扱ったことで世界に評価された日本。あるいは第一次大戦でドイツ軍捕虜を収容し「人道的で模範的な収容所」として知られた板東俘虜収容所のエピソード。

もちろん暴力沙汰や行き過ぎた厳格さから生じた個別の問題はあったが、「列強の中で国際的な地位を得たい」と願う日本が、国際法や人道主義を理解しようと務めていたことは知られている。

ところが第二次大戦になると、様相は一変。

2014年に映画が公開され、日本でも批判の声が上がったアンジェリーナ・ジョリー監督の映画『不屈の男 アンブロークン』の原作などは顕著だが、「とにかく白人捕虜を殴りつけ、満足な食事も与えず、強制労働に駆り出し、虐殺さえ行った」とされる言説が増える。『アンブロークン』の原作には、日本人が人肉食の文化を持っていたかのような、誤解と偏見に基づく記述も存在するという(さすがに映画では採用されなかったようだ)。

しかもそれが「日本人特有の残虐性・嗜虐性ゆえに行われた」と言わんばかりの内容も少なくない。当の日本人が「日本人は今も昔も人権意識が低いから」と結論付ける傾向もある。

どうしてこうも変わってしまったのか。本書はそうした疑問に、膨大な文献調査と、当事者や関係者への取材によって迫っている。

戦陣訓が与えた影響

筆者のコブナー氏がこうした研究に取り組もうと思ったきっかけは、「祖父の世代の日本軍による捕虜経験者や、その子供の世代が語る苛烈な体験」と、授業で教えられる歴史にギャップを感じたからだという。

そうして調べてみると、確かに日本軍の捕虜になった白人たちが書き残してきた体験記や伝聞こそに「アジア人蔑視」の視線があり、さらには友軍の攻撃を受けて死亡した捕虜がいた実態などは隠される傾向にあることが分かったというのだ(参照下記URL)。

もちろん、捕虜の管理の不備で生じた問題は山ほどあった。命を落とした人もいた。「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓が、敵国の捕虜に対する蔑視の感情を生んだことも指摘されている。

日本側としては「まさかこれほどの連合国軍の軍人が投降して捕虜になることを申し出るとは」という驚きもあったのだろう。どんどん増える捕虜をどう扱うかのシステムや指示系統がおぼつかないまま、事態を収拾しなければならなくなったのだ。

『帝国の虜囚』著者サラ・コブナー氏インタビュー | みすず書房

https://www.msz.co.jp/news/topics/09527/

12月9日、みすず書房にて 新刊『帝国の虜囚――日本軍捕虜収容所の現実』(原題はPrisoners of the Empire: Inside Japanese POW Camps, Harvard University Press, 2020年刊)の著者サラ・コブナー氏がアメ...

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