【読書亡羊】ポリコレが生んだ「日本兵」再考の歴史観 サラ・コブナー著、白川貴子訳『帝国の虜囚――日本軍捕虜収容所の現実』(みすず書房)

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その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評! 今年もよろしくお願いいたします。


フェアなアプローチが光る

また、空襲を担当した兵士が捕獲された場合は、確かに斬首されたり、生体実験に使われた例もあったと指摘されている。

しかし筆者のコブナー氏は〈アメリカの都市を爆撃した日本兵を捉えたとすれば、ロサンゼルス、シカゴやニューヨークの市民はどのように扱っただろう〉と問うて見せる。

「同じことをしなかったと断言できるのか」と突きつける姿勢には、深い感銘を受ける。当時、アメリカ、オーストラリア、イギリスの兵士は「ドイツ兵は人間だが、日本兵は猿以下」という人種意識を持つものも少なくなかったのだ。

もちろん「意図せず、状況に追い立てられて結果的に捕虜の扱いが悪くなってしまった」からと言って「仕方がなかったのだ」と開き直れるものではないが、本書はアプローチがフェアで、頭から「日本を悪者として描こう」という意図で書かれたものではない。

だからこそ、ある種のレアケースとして生じた殺害事例や、捕虜の取り扱いについて定めたジュネーブ条約を締結していない対中国姿勢、あるいは過酷な労働に従事させられたという捕虜の体験記が響く部分もあるのだ。

最初から悪魔のような日本軍、日本兵を書かれたのでは、仮に個別の事例自体が事実でもこちらが理解を拒絶したくなってしまう。

「罰より平手打ちの方がいいだろう」

何より研究から描き出される旧日本軍の軍人たちの姿は「まぎれもなく、自分たちと地続きの日本人だなあ」と思えるのである。

例えば捕虜に対する平手打ち。連合国の捕虜からすれば、階級に限らず日本兵からくらわされる平手打ちは、著しく自尊心を傷つけるものだ。だが日本兵からすれば、「平手打ちは軍隊内でよく行われている私的制裁」であり、逃亡未遂や窃盗などの規則違反を罰則に基づいて罰せられることよりも、平手打ちで済ませるほうが本人はもちろん、その家族に対しても名誉が傷つかないだろう、と考えていたのだという。

「この程度の苦労は当たり前だ」とばかりに日本人に対して行われていること、たとえばブラック企業的な働き方などが、外国人労働者にも強いられたときに初めて社会問題になる。こうしたケースは現在もかなりあると思われるが、戦前の日本人にも全く同様の問題が存在していたことになる。

また、捕虜の中には「食事が粗末だ」という不満を持つ者もいたが、日本兵とそう変わらない食事の内容であること、朝鮮の収容所では収容所の外にいる朝鮮の人たちがより貧しい食生活をしていることを知って「文句は言えない」と述べたものもいたという。

そして第二次大戦前とは違い、朝鮮人や台湾人が捕虜収容所の監視役を担うこともあった。そのため、「捕虜をどう扱うべきか」という前提が共有されず誤った対応につながったことも本書では示唆されている。これも、フェアな歴史叙述だからこそ見えてくる実態だろう。

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