「日本と調和」に言及したゼレンスキ―大統領
自らが強くあり各国から信頼がなされれば、和平に乗り出すことができるが、自ら積極的に行動の取れない国家は相手にされない。
日本は自らが強くあれば、対立を生み出すのではなく、調和に向かってリーダーシップを発揮できるということは、3月のウクライナ・ゼレンスキー大統領が演説で述べている。ゼレンスキー大統領は日本のありようについて、日本人よりも本質に気付き期待を寄せているのだと思う。
大統領は演説の冒頭で、「ロシアがウクライナ全土の平和を破壊し始めたとき、世界中が戦争に反対し、自由、世界の安全、すべての社会における調和のとれた発展を望んでいることを実感しました。日本はこうした役割を果たすアジアのリーダーです」と述べた。
さらに、終盤、「日本の皆さん。私たちが力を合わせれば、想像以上に多くのことを成し遂げられます。私は、皆さんのすばらしい発展の歴史を知っています。いかに調和を作りだし、守れるかを」と述べた。
ゼレンスキー大統領は繰り返し「日本と調和」について言及した。これは、極めて的を射ている。日本のいにしえの国号は、「和」であり、天皇陛下を中心に国民が手を携え「和」をもとに歩んできた国家であるからだ。
「和」ではなく「倭」とした中国の皇帝
いにしえの国号は「倭」ではないのか? と言う方もおられると思うが、正確には「和」であったと考えて良い。「親魏倭王」などと称されたのは、日本からの使者が、中国の皇帝から「そなたの国の国号は何か。また、その意味は?」と聞かれ、「我が国の国号は『和』である。天皇陛下を中心に、国民全体が相和(あいわ)し暮らしている」と答えたことによると推察される。
これに対し、中国の皇帝は、そのような国家が存在することに脅威を感じたのであろう。日本から来た使者が言うような国家が存在すれば、国民を強権で従わせ貢がせるという自らの統治が脅かされるかもしれない。そこで「和」ではなく、「わずかな」という意味の「倭」を中国は日本の国号として充てたのである。これは、歴史小説家で古代史に詳しい高橋克彦さんなども述べておられる。
では、なぜ日本のいにしえの国号は「倭」ではなく、「和」だったと言えるのか。
それは、「日本の〇〇」を表す時、「和服」「和食」「和室」など、「和」が使われており、「倭」は使われないことからも明らかである。このように日本は、歴史上、「和」をもとに生きてきた民族なのである。
こうした力を日本は今こそ発揮すべきである。どこかの国に何かをされてびくびくするのではなく、自らは凛として強く、困った人や国があれば、「和」の精神をもって行動し、調和に導く。日本の政治家は、こうした日本の歴史に則り政治や外交を行うべきである。戦後レジームを脱し、何が日本にとって必要なのかもう一度再構築し、「国際社会において名誉ある地位を占める」べきだ。
この言葉は、護憲派が好きな憲法前文の言葉でもある。これを実現するために必要なことを国民が和を以て一体となって不断に考え、実行すべきである。