獣医学部報道に疑問
私は長く東京大学で獣医学を教え、2011年から13年まで加計学園系列の倉敷芸術科学大学の学長を務めました。その立場から、この1年の「森友・加計学園」報道、特に加計学園報道に関しては、「ジャーナリズム」について改めて考えさせられました。
「ジャーナリズム」の役割は本来、問題を中立公正な立場で伝え、国民や読者に判断材料を提供することではないかと私は考えてきました。しかし、加計学園に関する報道はそうではなかった。朝日新聞をはじめとする報道機関は、自社の論調や正義を国民や読者に押し付けてきたのではないでしょうか。
私自身も、朝日新聞の記者から何度も取材を受けました。彼らは彼らの主張を私の前でも述べていましたが、その言葉から私が感じ取ったメッセージは「変えてはいけない憲法を改悪しようとしている安倍内閣を倒すためには、様々な手段を使うべきだ」というものでした。
彼らが聞きたかったのは獣医学教育の実態や獣医師の不足、「岩盤規制」の背景ではなく、ただただ「加計問題」を政局化するための材料でした。訊かれることといえば、「加計さんはどんな人なのか」 「安倍総理と一緒のところを見たことがあるか」などという話ばかり。
取材班の方針に沿った、加計学園に対する安倍総理の不公正な便宜供与があったと印象づけたいがための素材集めだったのでしょう。
もちろん、その執念が今回、「財務省文書書き換え」のような事実を発掘することに繫がったことは評価しますが、加計問題については、朝日新聞をはじめ、メディアは実に不適切な印象操作によって疑惑を植え付ける報道を行ってきたことは間違いありません。
獣医学の実態
具体的に言えば、問題点は2つ。1つは、加計学園に対するマイナスイメージの流布です。
「加計学園は総理大臣との関係を利用して獣医学部を作った。そんな獣医学部の内容は最悪で、きちんとした教育ができるはずがない」――。多くのメディアが日本獣医師会の主張をそのまま流しましたが、どこが悪いのか、明確な根拠を示してはいません。
教員はもちろんですが、加計学園の系列校に通っている学生や卒業生には何の罪もない。にもかかわらず、在学生も卒業生も、世間から「あの加計か」と白い目でみられるケースが続出しています。報道には、学生が不利益を被らないよう最大限の配慮が必要だったと思いますが、そういったものはみじんも感じられませんでした。
そしてもう1つは、朝日新聞などによる「加計学園と今治市が、不要な獣医学部を設置しようとしている」という印象操作のキャンペーンです。
日本獣医師会を中心に、実に半世紀にもわたって形成され、守られてきた「岩盤規制」とはどのようなものなのかが分からなければ、新学部設置の是非も、岩盤規制打開の是非も分からないはずです。ところが報道では、この「獣医学の実態」にほとんど光が当てられることがないまま、いまに至っているのです。
私は1962年に東大駒場から本郷の獣医学科に進学したときから、その教育があまりに貧困なことに驚いて獣医学教育改善の必要性に気づき、東大助教授になった1972年頃から、実際に改善運動に参加してきました。
というのも、60年代から70年代にかけては高度経済成長真っ盛りの時期で、ペットを飼う人が増え、ペットを動物病院に連れて行く文化が生まれました。私が大学に入った頃にはまだ珍しかった「街の犬猫病院」が、60年代半ば頃から急増し始めたのです。
すると、当時の獣医学部入学定員約700名のうち400名近くが卒業後、小動物診療といわれるペット医になるようになってしまいました。
以前は、獣医師の資格を取った者の多くが公務員獣医師や産業動物獣医師となり、鳥インフルエンザ、BSE、口蹄疫などの予防と対策を行う公衆衛生や産業動物診療、あるいは食品衛生、公衆衛生などにあたる公務員として、保健所や屠畜場などで働く仕事にあたっていました。
しかしその後、文化の変化や収入の格差によって小動物診療のペット医を希望する卒業生が増えた分だけ、獣医師の活動分野に偏在が起きるようになったのです。