バイデンに見捨てられたウクライナ
ロシアの三方面からのウクライナ侵攻から、ウクライナ軍の意外な善戦が伝えられたものの、援軍が来ない限り、ウクライナ軍がロシア軍を打破して追い出すことは極めて困難である。
3月6日、ゼレンスキー大統領が自ら動画を配信し、
「ウィンニッツァ軍用飛行場は8発のミサイルで破壊された。西側諸国がわが国上空に飛行制限空域を設定し、ロシアのミサイルや航空機を排除し、我々に軍用機を提供してくれなければ、我々は助からない。あなた方は我々にゆっくりと殺されてほしいのか」と悲痛な叫びを上げた。
しかし、NATO(北大西洋条約機構)は飛行禁止区域の設定も軍用機の提供も拒否した。
要は、NATOの欧州諸国も、バイデンのアメリカも、兵器の供与はしても、軍事強国ロシアと直接戦いたくないということだ。見捨てられたウクライナにできることは、傭兵を募ることぐらいしかなかった。
NATOもアメリカも助けに来なければ、圧倒的な敵の軍事力に単独で立ち向かわなければならない。これが、台湾と日本の近未来の運命であり、まさに歴史的転換点を迎えた、と認識すべきだ。
2014年の政変で誕生したウクライナの親米政権はオバマ―バイデン政権に散々利用され、忖度し尽くした。オリガルヒからジョー・バイデンや息子のハンター・バイデンにもたっぷり金を渡した。その挙句に、いよいよロシアに攻撃されたら見捨てられてしまったのである。
しかし、実はその20年も前に、「ブダペスト覚書」と呼ばれる合意が形成されていた。
世界第3位の核大国だったが
「ブダペスト覚書」とは、1994年12月5日にハンガリーの首都ブダペストで開催された欧州安全保障協力機構(OSCE)会議において、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナが核不拡散条約に加盟したことを受けて、協定署名国であるロシア、アメリカ、イギリスがこの3国に安全保障を提供するという内容のものだった。中国とフランスは、別々の書面で類似した合意をした。
つまり、核保有国が、ソ連時代の核兵器を保有しているこれらの旧ソ連国に対して、「核兵器を放棄すれば、我々が責任を持って守る。領土と独立は保障する」と約束したわけだ。
当時、特にウクライナにはソ連時代の核兵器が大量に残っており、世界第3位の核大国であった。
ウクライナは求めに応じて核兵器をロシアに引き渡し、大幅な軍縮を実行していく。ある番組でご一緒したウクライナ人政治学者のグレンコ・アンドリー氏も、「もう大きな戦争が起きることはないし、侵略されることもない、と皆信じていた」と語っていた。
もし、これら核保有国、すなわち国連安全保障理事会の常任理事国が真剣に平和を希求するならば、「ブダペスト覚書」に基づいて、ウクライナを完全な緩衝地帯として保持すべきであった。
2014年にアメリカの支援を受けた政変で誕生した親米政権がロシアの黒海艦隊の追放を決めると、怒ったプーチンがクリミアを併合。これを見た東部の親露派住民も分離独立を求めて紛争となり、2015年にはイギリスとフランスを後見人とするミンスク合意が形成された。
この時点で、ブダペスト合意は実質的に崩れ去っていたが、今回のロシアによる全面侵攻で、ミンスク合意ごと完全に吹き飛んでしまった。
自ら武装解除してしまったウクライナは、結局、大国の帝国主義によって文字どおり破壊されてしまった。緩衝地帯としなければならない場所を、緩衝地帯として維持することを怠った大国の欺瞞は万死に値する。