地方自治体の暴走が日本で起こる可能性
昨年末、辛うじて東京都武蔵野市における住民投票条例が否決されたが、危険な動きだ。松下玲子市長は再提出の構えだそうだが、確実に潰さなくてはならない。
オーストラリアには、すでにアジア人がマジョリティの自治体がたくさんある。そのような自治体を含む選挙区からは2大政党のどちらも、たとえば「中国系の候補者」を擁立することになる。
有権者のマジョリティが中国系なら必然的にそうなる。それらの中国系候補者は、白人系オーストラリア人と写真におさまりたがる。いまのところ、政界の中心はまだ白人系オーストラリア人が握っているからだ。
しかし、それらの候補者が地元でばら撒くビラは全て中国語で書かれていたりする。そうなると、主張も公約も読めなくなってしまう。そうして、段々とオーストラリアが変質していくことになる。同じことが日本でも起き得るのだ。そのような自治体が、独断で外国と協定を結んでしまったらどうなるだろうか。
拙書『vs.中国』(ハート出版)で解説したとおり、労働党政権のオーストラリア・ビクトリア州のダニエル・アンドリュース州首相は、連邦政府に無断で中国政府と一帯一路の協定を結んでしまい、大騒ぎとなった。
極左マルクス主義者のアンドリュース州首相は、連邦政府から再三警告されても応じず、情報の開示も拒否し続けた。ついに業を煮やした連邦政府が新しい法律「外国関係法」を施行して、やっと阻止した。
「外国関係法」は地方自治体が外国と結んでいる全ての合意や協定を連邦政府が見直し、国益に反していると判断したら外務大臣の権限でキャンセルできるという法律である。日本にも必要だろう。
アンドリュース州首相は、いったい何を狙っていたのだろうか。
それは実質的な連邦からの独立であったとしか考えられない。つまり、財政で連邦政府に依存せず、チャイナマネーでインフラを構築し、中国政府と直結してビクトリア州を実質的な独立国にしてしまおうと画策したのだろう。中国のサイレント・インベージョンに迎合したのだ。
このような地方自治体の暴走が日本で起こる可能性がある。辛うじて阻止されたが、武蔵野市の住民投票条例には注意が必要だ。これを許せば、次は参政権に繫がるだろう。
勘違いされては困るのは、住民の多様性と自治権は本質的に異なるということである。オーストラリアは白豪主義を捨て、多文化主義を国是として久しいが、前述のように、永住権を取っても参政権はない。
当たり前だ。正式にその国のメンバー(国民)になって初めて、自治権・参政権が得られるのである。
独立を目指す、川崎市の危険な動き
川崎市の動きも危険だ。川崎市はなんと政令指定都市では飽き足らず、特別自治市なるものになって神奈川県からの独立を目指すというのだ。そんなことが日本全国で起きたら収拾がつかなくなってしまうばかりか、サイレント・インベージョンの格好の標的となるだろう。
地方分権というと聞こえはいいが、地方の自立と独立は根本的に違う。地方が中央に依存せず、自立して存続できることは望ましいが、独立して勝手に行動し始めたら国の統治が乱れ、オーストラリアの例のように、安全保障上の問題に発展しかねない。
あくまでも国があり、国ができないことを県がやり、県ができないことを市町村が行う。その逆ではない。
安全保障を考慮せずに、徒に道州制への移行を目指す政党には要注意だ。グローバリストや共産主義者のビーチヘッド(上陸拠点)にされている可能性がある。
以上、安易に「多様性のある多民族社会」を目指して移民を増やせば大変なことになる、という話をした。さらにもう一点、言及したいことがある。それは、技能実習という建前で安価な労働者を導入しようとする発想は欺瞞であり、完全な時代遅れでもある、ということだ。
本来、技能実習制度とは、外国人が報酬を得ながら日本で技能を習得し、母国へ帰って役立ててもらうことを目的とする制度だが、単なる低賃金労働者導入制度に堕して久しい。
深刻な人手不足の解消が死活問題だというが、自国民がやりたがらないきつい仕事を外国人にやらせるという発想は、根本的に間違っている。
さらに、日本の経済人が理解していないのか、理解することを拒否しているのか不明だが、「発展途上国から豊かな日本に出稼ぎに来てもらう」という発想自体が、すでに時代遅れになりつつあるのである。失われた30年の間、日本と途上国間の格差はどんどん縮まっている。
もはや中国の人件費は以前ほど安くないし、生産技術も進化し、メイド・イン・チャイナも安かろう悪かろうではない。日本から学ぶものも多くあるわけではない。まだ人件費が安いベトナムでも、「日本に出稼ぎに行くのは自分たちの世代が最後だ」と囁かれているという。