“二幹二国”については、少々、説明を要する。正式名称は、自民・公明の与党「幹事長・国対委員長会談」である。
現在、自民二階幹事長、森山裕国対委員長、そして公明石井啓一幹事長と高木陽介国対委員長の四人の会議だ。ここでどの決議や法案を上げ、どこを修正して成立を期すか等、最終決定される。言いかえれば、ここで拒否されれば全て終わる。
メンバーを見ればわかるように自民親中派の頭目・二階氏、その忠実な部下の森山氏、さらには昭和四十三年の池田大作「日中国交正常化提言」以来、中国共産党と一体化し、その意向を受けて活動してきた公明の幹事長と国対委員長との会議である。
対中非難決議の突破は至難の業なのだ。案の定、決議は日米首脳会談以降二か月間も棚ざらしになった。
「サミット前の決議が求められましたが、これもダメ。しかし立憲民主党が六月十日に正式に決議賛成に廻り、自民・公明の執行部が逆に追い詰められたんです」(同デスク)
ここで動いたのが下村博文氏。氏は政調会長であると同時にチベット議連会長でもある。同議連の顧問に安倍晋三前首相を戴き、さまざまな戦略を練ってきている。
「十四日午後、下村氏はウイグル議連の古屋圭司氏とチベット議連の長尾敬事務局長を伴って幹事長室に決議了承のサインをもらうべく乗り込んだ。人権外交議連の中谷元・共同会長と南モンゴル議連の高市早苗氏は間に合わず同席できないほど、ぎりぎりのタイミングでした。執行部側は二階氏と側近の林幹雄幹事長代理です」(同)
“中国絶対”を続ける公明
自民党には、国会決議の了承には幹事長が赤鉛筆で花押をサインする慣習がある。下村氏がサインをする用紙と赤鉛筆を差し出し、サインを求めた瞬間、「ちょっと待ってください!」と林幹事長代理が声を上げた。
そして都議選の話を持ち出し「(公明党と)いろいろ揉めている。今ここで公明を逆なでするようなことをやりたくない」と言い始めた。
下村・古屋両氏が「決議に反対するのは公明にとってもよくないことではないか」「有権者の支持を失う」と応戦すると、林氏は「公明党には池田大作さん以来の自分たちとは違う中国とのネットワークがある」と譲らない。
黙って決議案の文面を見ていた二階氏はボソっと「公明党の言うことばっかり聞いていたら、いかん」とひと言。しかし、だからサインしようということではない。そのままサインは「保留」となったのである。
だが下村氏は諦めなかった。大詰めの翌十五日朝、自民党了承の形式を整えるため党の外交部会を招集。古屋氏が「人権侵害を許さないという普遍的価値を守るため決議の支持を」と挨拶すると、部会は全会一致で支持。自民党の了承が決まったのである。
だが、
〈これで公明党を除く全党が了解したが結果として国会決議は上程されない。G7でも共同声明に盛り込まれた人権侵害。普遍的な価値観である人権侵害を許さないという立法府としての意志を決議するのは当然だ。しかし残念だが国会決議は基本的に全ての政党の了解が必要というルールが存在するのだ〉(六月十五日付・古屋圭司氏ブログ)
こうして、対中非難決議は上程されず葬られた。池田大作氏以来“中国絶対”を続ける公明と媚中の二階―林―森山が牛耳る自民執行部では決議が通るはずはなかったのだ。
中国が怖くて仕方ない政治家の浅ましい姿。先人が見たら、何というだろうか。
(初出:月刊『Hanada』2021年8月号)
作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部に配属され、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、のちに角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『オウム死刑囚 魂の遍歴―井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(PHP研究所)、『新聞という病』(産経新聞出版)がある。