老生、老残の身、世を忍ぶ日々であるが、我が茅屋に電波が勝手に飛びこんでくるため、テレビを見ざるをえない。ならば、テレビなど無視すればよいものを、AKB48の元気な小娘どものダンスを見ておると、こちらも室内運動を兼ねてチョイと踊ってみることとなり、腰を痛めてしまったわ。年寄りの冷水じゃのう。
うむ、年寄りの冷水などという古語、今どきの若者には分るまい。そのような古語の多くは消えてしもた。例えば、「年寄りと仏壇は、置きどころがない」と昔聞いた。この語、今よく分る。近ごろ、都会の多くの家には、和室がなく、仏壇を納める場所などない。となれば、家に置こうにも置けない。仏壇屋も、これからは、玄関の下駄箱の上にでも置ける軽量小型の仏壇を作らねばなるまいて。
仏壇と年寄りも、同じく小さくなって浮世を過す日々、家にその居場所はしだいになくなりつつあるわ。古語と同様じゃ。
などと愚痴をこぼしおった折、なんと奇怪な古語が飛びこんできた。文部科学省の前次官、前川某の発言である。
「座右の銘は面従腹背」は問題発言
学校法人加計学園が獣医学部の新設を計画して、種々努力をしていたその過程で、総理官邸から文科省へ認可希望があったらしく、その申し入れに対して、官邸の圧力であり、延いては、官邸トップの意向と感じた。そのことを示す内部文書が、文科省内に出廻っていた云々という発言である。
その経過あるいは文書内容の妥当性等の真実について、部外者の老生には率直に言って分らない。しかし、その1件について、前川某がまず世に発言した。すなわち、前川某がこの件の公的意味をまず与えたのである。
その際、自分の官僚人生における「座右の銘は、面従腹背である」と明言した。つまり、上司の文科相をはじめ、行政の上位者(総理や官房長官等)に対して「面従腹背」すなわち従わなかったと言いきったのである。
これは、問題発言である。
まず第1点。「座右の銘」の意味が本当に分っているのか。 「座右」とは、自分の居場所(座)のすぐそば(右)の意である。だから、「座右」でなく「座左」でもいい。「銘」とは、石や金属にしっかり刻みつけるように「しるす」ことである。すなわち「座右(座左)の銘」とは、「常に近くにあり、深く心に刻みつけて己れの修養の本とすることば」のこと。当然、人間としてそう在るべきことを教える重くすぐれたことばなのである。
ところが第2点、「面従腹背」ときた。この語、どうやら日本製らしく、中国由来の語ではなさそうだ。中国では「面従後言」と言う。中国は古代、伝説上の名君、舜が臣下たちにこう言ったという。自分はいい政治をしたいので、お前たちは補佐してほしい。……もし私が誤まったことをしたときは、助けてほしい。その場では私に服従し、退庁した後、非謗(するようなことはするな」と。
つまり「面従後言」(面しているときは従い、後では非難をする)をするな、と言っているのである。だから座右の銘としては、面従後言をするなと否定するのでなくてはならない。事実、原文には、「面従……後言」という文の上に、その全体を否定する「無」字がある。それで筋が通る。この「無」字を抜いての「面従後言」(面従腹背)とは、悪行の意であり、絶対に「座右の銘」とは成りえない。