産業社会を全否定する言説
五輪反対派は決まって「五輪自体が過度な商業主義に走っており、だからやめられない」と言うが、これも根本的に間違っている。
まず商業に主義をくっつけるのはおかしな話で、スポーツがビジネスとして成り立つことがどうしてダメなのか。サラリーマンでなくスポーツを生業にする選択肢のためにはビジネスの発想が不可欠だ。
産業社会は全てがお金で動いており、五輪はビジネスそのもので、スポーツ産業である。お金が動かなければ、選手も家族も関係者も生活できない。「平和の祭典」を行うにも当然お金はかかる。
五輪は、日ごろ脚光を浴びることがないマイナー競技の選手がメダルを取って知名度を上げ、スポンサーを獲得したりする最大の機会だ。五輪がなければ成り立たない競技もたくさんある。むしろ、いかに商業的に成り立つかということを考えるのが重要となると言っても過言ではない。
我々も五輪があるから普段馴染みのない競技に接し、「自分でもやってみよう」と考えるようになる。そうして競技人口が増え、スポーツ競技として成り立っていく。あらゆるスポーツがそうした機会を得られる。
東京五輪には33競技、339種目あるが、これほどの競技に親しむ機会は五輪をおいてない。五輪は世界中で数十億人がテレビを通じて観戦する大祝祭空間なのだ。
五輪のようにナショナリズムが高揚する祝祭空間、共生感を抱く機会はほかにない。おそらく朝日新聞的イデオロギーとしては、日本人が日本の選手を応援することが排外主義的なナショナリズムだと勘違いしているのだろう。そのくせ日本人選手が金メダルを獲得したら、個人的には嬉しくて昂奮している。その欺瞞や矛盾に無自覚すぎる。