お詫びと反省への違和感
実は、先だって有村議員と松田学元衆議院議員と鼎談した際、私はこの点の不明瞭さに強い懸念を示した。
2021年3月、教科書に従軍慰安婦という記述が復活したと騒ぎになった際、やはり有村議員が質問に立ち、それをフォローするように日本維新の会の馬場幹事長が4月に質問主意書を提出。政府に、従軍慰安婦という記述の妥当性についての判断を迫った。
政府の閣議決定を経た回答は、従軍慰安婦という表記は不正確で不適切というものであった。それを保守派は「お手柄」と持ち上げた。
その功績を否定するものでは全くないが、私は馬場幹事長の質問主意書に次の記述があることに大きな懸念を抱いていた。
「また『いわゆる従軍慰安婦』の用語も、平成5年8月4日の河野官房長官談話をはじめ広く使われている。菅内閣が同談話を継承して、そこで表現されているお詫びと反省の気持ちを引き継ぐことは十分理解するので、同談話そのものを見直すことは求めない」
河野談話が、日本政府が強制性を認めている根拠にされていることが問題なのに、河野談話の趣旨を全体として認めるというのであれば、問題の解決にはならない。
私が国会で質問する立場ならば、そのお詫びと反省の気持ちは具体的に何に向けられたものなのか明確にすることを政府に求める、と有村議員にお伝えした。
その意味で、有村議員の官房長官への質問は、まさに私がぶつけたい質問そのものであった。
それに対して、加藤官房長官は次のように回答した。
まず、1993年8月4日の内閣官房長官談話、いわゆる河野談話において、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、弾圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになったと記述されているところであります。
このように、官房長官談話は、慰安婦問題について、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、政府としてその出身地のいかんを問わず、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒し難い傷を負われた全ての方々に対して心からお詫びと反省の気持ちを申し上げたものであり、その点については、私どもも引き続き継承させていただいております。