一喜一憂するのは部外者だけ
「男木島にはもう猫がいない」……今度はこんな話がネットを駆け巡り始めた。感染症のデマもこの流れで生まれたものと思われる。姿を見せなければ、数が少なくなったようにも見えるだろう。
もともと口コミで人気が広まった島だから、逆の効果もすぐに表れたらしい。それまで週末や連休ともなれば、定員250人の定期連絡船に積み残しが出るほどギュウギュウに乗って観光客がやってきていたのに、それが目に見えて減った。今年のゴールデンウィークもかつての勢いがまったく無かったという。
「困ったねえ。やっぱり、お客さんには猫を見て喜んで欲しいんや。なんとかならんかねえ」
ある飲食店関係者がこぼしていた。
だが実は、島でこうした危機感を持つひとはごくわずかだ。数年前にくらべ、来訪者がゆっくり休憩することのできる飲食店の数は格段に増えているのに、「猫が減って困る」という住民はほとんどいないのが現実なのである。なぜか。ほとんどのひとはそもそも、猫に関心がないからである。
考えてみればどこのご町内でも猫を好きなひとはほんの一部で、あとはなんの興味も持っていないひとたちという構成になっているはずだ。猫はどちらかというとうるさくてクサい動物として、疎まれることが多い。男木島でも同じなのだ。
もともとお年寄りばかりでのんびり暮らしていた島だから、目の色を変えて商売しているわけでもない。猫のおかげで観光客が増えたことは確かだが、
「なんであんなもの、わざわざ見に来るんやろ」
と不思議がっていたくらいだ。
猫が増えても減っても、それで騒いでいるのは結局、島とはなんの関係もないひとたちばかりなのである。
これぞ本当の「猫の楽園」
徹底してTNRをすれば、その地域の猫は3年で半減するといわれているそうだ。2年で150匹から100匹弱になったなら、そんなものだろう。ちなみにこの100弱という数字、ざっと数えてみても、また島で消費されるキャットフードの総量から逆算してもそれくらいになるという。
男木島は本当に小さな島だ。そして猫たちはまだここでたくさん暮らしている。だからのんびり散歩をしていれば、必ず彼らに会うことができる。
古い伝説の残る井戸の前。うねうねと続く細い坂道の途中。海と空の輝く青さを同時に楽しむことのできる、神社の鳥居の下。思う存分昼寝をし、それに飽きたら草むらでトカゲをとったり、蝶を追いかけたりしている猫たち。
交通事故の心配もせずにゆっくり道路を横切る猫というのも、都会では見ることができなくなった。見知らぬひとに媚びをうることはもうないかもしれないが、そうしなくても生きていける猫の姿を、豊かな自然のなかで眺めることができるのだ。大いなる眼福ではないか。これぞ猫の楽園。猫にやさしい、純朴な島の暮らし。
部外者ならそれで十分、満足できるはずだ。