5、6人の男に取り囲まれ「中国国家安全部です」
インタビューに応じる劉勝徳氏=2020年8月28日、岡山市内で(撮影/筆者)
その冒頭は次のようなものだ(以下文中※は筆者補足)。
〈2016年11月21日(月)岡山空港から中國東方航空を利用し、張家港市澳洋病院(※張家港澳洋医院)へ。招待総会業務打ち合わせの為、部下の姜××君(通訳=※原文は氏名ともに記録、当時の総会事務局長)と共に出発。(※中略)(※上海)浦東空港で招待病院からの出迎えの方と合流。一路病院へ。(※中略) (※病院長らからの)歓迎と出迎えを受け院内視察。 いよいよ目的である今後の(※医療ツアー)相互協力の会議に入る。
①澳洋病院国際センターは、岡山県華僑華人総会・中國旅行社との協力のもと事業展開を行う(※中略)。協議を終え歓迎宴に…。
翌日、出発時間まで蘇州・拙政園(※世界文化遺産の明代の庭園)観光、浦東空港へ…。とのスケジュールで、朝食後、蘇州へ出発。
小雨が降りしきる中、拙政園観光を終え、昼頃浦東へ出発しようと駐車場へ…。5~6人の男性に取り囲まれ、(※日本語で)「劉勝徳」という声が。「中国国家安全部です。少し聞きたい事があるので車に乗ってください」と指示され白っぽいワゴン車(※の後部座席)に乗り込む。助手席の男はハンディ(※ビデオ)カメラを私に向けている。両サイドを体格のいい若者に挟まれた。(※中略)姜君とは別々に車は出発。
車内では、メガネ・パスポート・携帯を取り上げられ目隠しをされる。日本語で「安心してください。危害を加えることはありません。聞きたいことがあるので協力してください!」との声が。
市内を20~30分走っただろうか…。降りてくださいと言われ車から降りた。案内された部屋で目隠しをはずされる。そこは、蘇州のホテル(拘束者専用)の一室。ここで1カ月過ごし、その後、天津のホテル(同じく拘束者専用だが、蘇州よりも豪華だ)に新幹線で移動し、そこで3カ月を過ごすことになる。
取り調べの時、2台のカメラがこちらを写している。2人の尋問者、通訳、記録員が「劉さんお昼の食事まだでしょう?お腹のほうは大丈夫ですか?」と聞く。食事どころではない!早く終えてくれ!!という気持ちと、何でこんな事に?という気持ち。(※中略) (※彼らは)2枚の紙を読み上げる!「スパイ容疑!」 「600日拘束・居住監視2名がつく…」との事。私がスパイ容疑?軍事機密を探った事もなければ聞いたこともなく、話せば理解してもらえるはず! 「その紙は私に対してのもの、私にください」と言っても無視される。
「私達は天津国家安全部(※天津市国家安全局)です。あなたをスパイ容疑でいろいろ尋問します。本当のことを事実に基づいて言ってください。中国共産党は本当のことを言って反省すれば、きっと早く良い結果が出ます」から始まり、翌朝4時まで取り調べが…。少し睡眠、7時起床。8時朝食、9時半~昼まで取り調べ、14時半~17時まで取り調べ、19時半~21時まで取り調べ、22時か23時就眠。こんな状況が連日延々と続く。部屋は夜もあかりをつけ2名の監視員と一緒〉
銃殺や拘束10年もあり得る
収容施設が「拘束者専用」であるのは「造りから一目瞭然だった」という。取り調べに際し、「劉さんの場合、銃殺や拘束10年もあり得る」と脅してきた係官からは、弁護人の要不要を問われたが、官選の弁護などは無意味だと思い、「要らない」と断った。
男たちが名乗った「天津国家安全部」(天津市国家安全局)は、日本の公安調査庁や警察の外事部門においては対日本情報工作(防諜など)も任務と目されている。実際に劉氏のスタッフに天津出身の女性がいたこともあり、在日華僑である劉氏を拘束した点でもつじつまは合う。