別荘で異音が
子供の頃、おばあちゃん子だった。家での遊び相手はいつもおばあちゃんで、花札や神経衰弱をやって遊んでいた。派手好きで常に子分的なお友達を作って遊びにでかけたり家に招いたりしている人だった。そんな楽しい人だったので、自分も常に遊んでもらっていたのだと思う。
おばあちゃんが死んでから、だいぶたつ。死んだのは自分が小学生の頃だった。おばあちゃんの墓は群馬の前橋にあり、萩原朔太郎さんのお墓の並びにある。ちなみに萩原朔太郎さんが住んでいた所とおばあちゃんと一緒に暮らしていた場所はご近所。何か縁でもあるのかって思ってしまう。
おばあちゃんが死んでからずっと墓参りに行かなかった。その理由は群馬だからだ。
自分は学生だったし車の免許も無いし簡単に行かれる場所じゃないから仕方がない。
高校を卒業した頃、頻繁におばあちゃんが夢に出て来るようになった。おばあちゃんと楽しく遊んだり、食事したりするのだけど、最後は必ずおばあちゃんが死んでしまう。そこで毎回目が覚める。
あまりにも頻繁に見るようになったので母親に「お墓参り行かない?」と言ってみた。だが、群馬は何かのついでに行ける距離じゃないので行くことはなかった。
この当時、熱海に別荘があったので友達と一緒に行く事が多々あった。別荘には、おばあちゃんが使っていた日本間があり、いつもその部屋に布団を敷いて友達と寝ていたのだが、寝ていると天井や壁が「バキバキ、バリバリ」と音がする。木が乾燥して音が出ていると思い、何も気にしないでいた。
替え玉事件以降、消えた音
時は1990年。相変わらず夢におばあちゃんが出て来る。そんな事をあまり気にしないまま友達と熱海の別荘に行ったのだが、いつものように日本間に布団を敷いて寝ているとバキバキ音が以前より大きくなった。友達も「この音うるさいね」というくらいの大ボリューム。
しかもその音は右から左、上から下に走るようになり、友達と「走り回ってるようなバキバキ音だね」と話したりした。この音を聞いたのは一人二人ではなく、多くの友達が聞いている。
その後も夢やバキバキ音が続いたので、母親に「お墓参りに行かないとダメだよ。行こうよ。場所教えて」と言い続けたのだが「群馬の住所がね……」とか言って明確な答えはもらえなかった。
今だったら簡単にググって調べられるが、当時は違ったから調べるのが面倒だったのだろう。とはいえ、自分の母親のお墓なのだからわかっていても良かったのにね(笑)。
1991年3月、友達のK君と熱海の別荘に行った。いつものように日本間に布団を敷き寝ていると、以前より音が凄くなり正直うるさくて眠れないくらい大きくなっていた。しかもその後は部屋中を走り回る。K君も「あ~うるさい。これ酷くない」と言った。
K君と熱海の大型スーパーに買い物に出かけた時、休憩所的な所にあったテレビで明大替え玉事件のニュースを観た。自分自身、人生最大のスキャンダル。なべ家の日常が大きく変わってしまった大事件だ。そして事件発覚後、音が消えた。
明大替え玉事件が発覚した直後、自宅はマスコミに囲まれて帰る事が出来なかったので別荘にいた。
別荘潜伏中にお墓参りにも行った。お墓を掃除し、お線香をあげ「今まで来なくてごめんなさい。危険を教えていたのでしょ? 気が付かなくてごめんなさい。そして教えようとしてくれてありがとう」と手を合わせた。
それ以降、夢におばあちゃんが出て来ることも別荘のバキバキ音も無くなった。泊りに来た友達も「音が全然しないな。あの時の音はなんだったの?」と言ったくらいだ。


