(7)報告書22番パラグラフ「慰安婦戦時動員と自殺強要等に対する一般化の誤謬」
報告書では多くの慰安婦が軍人たちと共に自決、または軍事作戦に動員を強要されたと記述しているが、軍作戦地から孤立した状態で脱出することがより危険な場合、慰安婦たちはやむを得ず軍人たちの保護を得るためにも軍と共に行動せざるを得ず、報告書の主張とは異なり、戦闘が激烈でなかった地域の慰安婦は軍属として編入され、軍病院や食堂に配置されて勤務し、解放を迎えた。そうした多数の事例を見ると、敗戦が差し迫った南方地域で、日本軍が玉砕した地域で慰安婦たちが犠牲になった一部の極端な事例を全体の問題として拡張させる、一般化の誤謬を犯している。
(8)報告書24番パラグラフ「引用資料の無断変造、添加、創作、推測による断定」
報告書は岡村寧次(おかむらやすじ)中将の回顧録を根拠に、「日本国内の朝鮮人社会から多くの女性を上海に送るよう要請した」と書くが、これは原本に無い創作されたものだ。国連報告書にこのような根拠不明確な表現や創作が記されていいのか。 また、岡村寧次は日本軍内の強姦事件の防止対策として長崎県知事に慰安婦を要請したと書いているが、陸軍慰安所の設置される前、上海では既に海軍慰安所が存在した。岡村の回顧のままに長崎県知事が応じたのか確認できる資料はない。にもかかわらず、この報告書は岡村の要請が実現されたものだという前提のもとに内務省まで介入したかのように記述されている。全く根拠のない主張であり、むしろ内務省は軍の名分や要請を口実に募集業者が婦女を誘拐したり、募集することを禁止したという公文が存在する。クマラスワミはこの公文を確認したのか。
(9)報告書28番パラグラフ「慰安婦動員における巡査と警察の介入推断誤謬」
報告書は国家による挺身隊動員と民間業者による慰安婦募集を錯覚した結果、慰安婦募集にも巡査が動員され、憲兵隊が動員されたという主張を繰り返している。これは全く根拠のない酷くいい加減な主張だ。朝鮮で女子挺身隊が1942年に募集されたことはない。日本内地でさえ、女子挺身隊という用語が公式的に閣議で議論されたのは1944年2月からだ。朝鮮では女子挺身勤労令が1944年8月23日に発動された。
(10)報告書29番パラグラフ「国家総動員法施行対象、時期に対する事実関係誤謬」
この項目は創作に近い。基礎的な事実関係ともかけ離れた記述だ。国家総動員法は1938年に通過したが、台湾と朝鮮ではその施行は保留され、1944年9月以後になされた。日本内地とは事情が随分異なる。国家総動員法は慰安婦募集の根拠法にならず、戦時物資と勤労人力を動員するための法であり、軍慰安婦を強制するための法ではない。その上、朝鮮での施行は戦争末期であり、大部分の慰安婦被害者が1938年~1942年の間に発生したので関係もない。さらにこの項目が主張する根拠は、虚構と判明した吉田清治の回顧なのだ。
(11)報告書34番パラグラフ「証言に対する交差検証努力の不足」
この項目で毎日60~70人の男性の相手をしなくてはならなかったという内容は、一部慰安婦の荒唐無稽な証言に基づく不正確な記述だ。日本軍の慰安所管理規定は大同小異だが、兵士と下士官は30分、将校は1時間を許容されていたので、これをもとに推算すれば、将校を除いた兵卒だけを計算したといっても1人あたり30分づつ許容されると、全30時間が必要である。食事と休息、睡眠を除いたとしても不可能だ。常識と基本すら無視したこの調査報告書は国連が採択した公式報告書だとは信じられないほどに深刻なレベルである。
(12)報告書35番パラグラフ「慰安婦の健康と人権侵害に対する便宜的断定」
この項目を見ると日本軍は慰安婦の健康状態を顧みず、甚だしきは刺し傷や骨折があっても放棄し、休息時間も与えなかったと記述されている。これも慰安婦被害者の証言を一方的に受容した結果によるものだ。
1940年南支那軍の慰安所管理規定を見ると、毎週性病検査の他に月1回健康検診を受けるようになっていた。これは慰安婦の伝染病以外の疾病有無を確認して営業中断措置を取るためであり、実際、軍の大佐である松見茂雄が1940年12月10日作成報告した『功積概見表』によれば、慰安婦の健康検診が毎月2~300人以上実施され、その中の一部は入院治療を受けていることが分かる。
慰安婦は特に生理期間中に接客をしないようにしており、違反時には事業主を処罰出来る程に規定が厳格だった。したがって一部の証言で生理中にも性関係を持続したという主張はそのまま盲信するには難しい点がある。
(13)報告書36番パラグラフ「慰安婦搾取に対する先入観、糊塗」
この項目で記述した物資支給のおざなり、経済的搾取等は戦争という特殊な状況と補給状態に対する考察がなく、慰安婦だけに対する差別があったように結論を糊塗出来る。慰安婦の食事、衣服提供は戦地によって異なるために、どの場合が一般的なのか特定出来ない。供給が円滑な地域では充分で、南方地域のような戦時期に孤立した地域では餓死レベルまで到達した。これは慰安婦に限ったことではなく、所属軍人と軍属の全てに該当する。慰安婦たちが金を稼げない理由は、基本的に慰安婦は前渡金形式で借金を負って出発したために、多くは収入の5~60%を控除され、化粧品や個人の消費物品の購入を私費で充当したためだ。(邦訳:黄哲秀)
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