まえがき
国家は侵略以上に自殺によって滅びる。
最も警戒すべきは「綺麗な言葉」である。平和、核廃絶、国連、地球環境、差別解消、等々。これらを唱える人々の背後では、常に腹黒い勢力がとぐろを巻いている。目的は日本の弱体化であり、日本を犠牲にした利権の獲得である。
美辞麗句に隠された国際政治の現実を知らなければ、「ひ弱な経済大国」日本はカモにされ続けるだろう。
本書は、反日勢力が仕掛ける各種工作の実態を明らかにし、対処法を示すべくまとめた。
強い者だけが弱い者を守ることができる。
国がタフであってこそ、国民はおだやかに、たおやかに生きていける。国家としての日本は、公正であると共に、「世界一優しいが、怒らせると世界一怖い」存在であるのが理想だろう。
第1章は、同盟のあり方に焦点を当てた。アメリカはお人よしではない。日本頼りにならずと判断すれば、単に見捨てるに留まらず、強大な敵とも化しかねない。
それが分かっていた安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」に努めた。果たして自民党や国会は安倍の遺志を継げるのか。それとも、有害無益な政争や迎合に明け暮れ、国を内部崩壊させていくのか。
第2章は「日本核武装」シナリオを、イギリスの「連続航行抑止」戦略を参照しつつ提示した。
日本は独自核抑止力を持つべきでないし、たとえ望んでも持てない、というのは腹黒い勢力がほくそ笑む洗脳の最たるものである。日本は常識の立場に立ち、意志さえ固めれば、ファシズム勢力の核恫喝に対抗できる。「アメリカの核の傘は信用できるのか」といった議論は必要ない。
第3章は「米中対立」を取り上げた。もちろん日本は第三者ではなく、否応なしに最前線でこの「新冷戦」構造に組み込まれる。
中国共産党政権(以下中共)が併合を狙う台湾は太平洋とインド洋の結節点に位置する。理念的には冷戦期の西ベルリンに当たる「自由の砦」である。
かつてケネディ米大統領が現地で発した「私はベルリン市民だ」にならえば、「私は台湾国民だ」が今や自由世界全体の標語でなければならない。
もっともベルリンの壁構築を許したのもケネディだった。アメリカの言葉でなく行動をしっかり見据える必要がある。
第4章は「国連」である。日本ではいまだに国連崇拝が根強い。国連機関からの脱退や拠出金停止というと、重大犯罪をそそのかされたかの如く、即座に怒りをもって拒絶反応を示す政治家がほとんどである。しかしアメリカでは、「国際派」のオバマ政権ですら一部の国連拠出金を停めている。
国連人権理事会は人権蹂躙をもみ消すための機関、というと「まさか」という人も多いだろう。しかし事実であり、しかも構造的に改革不可能である。同様に「安保理改革」も、国連憲章の規定を変える形のものは出来ない。いずれも頭に入れておきたい国際常識である。
第5章は「朝鮮半島」。日朝協議や米朝協議の再開は一応よいことだが、それは北朝鮮が直接日米を騙しに来ることでもある。最大級の警戒が必要だろう。アメリカで燻る「危ない議論」を紹介した。
歴史戦についてもいくつかポイントを整理した。前面に踊り出る韓国の背後に中共がいる。潜在的な「賠償金額」は無限大と言える。ナイーブな懺悔外交は、日本にとって決定的な墓穴となりかねない。一方中共も大きなミスを犯している。具体的に指摘した。
第6章は「差別とLGBT」。アメリカの混乱に触れつつ、それ以上に危うい日本の状況に警鐘を鳴らした。闘う共和党と迎合する自民党の違いは鮮明である。常識を盾に女性や児童を守れない国が、ファシズム国家の工作や侵略に堪え切れるはずがない。
日本は本来、活力と可能性に満ちた国である。自殺に追い込まれさえしなければ、豊かな伝統を基盤として、世界の文明をリードする国になれる。そのためには各種の洗脳を解き、戦闘力を磨かねばならない。本書が課題としたところである。
国際政治学者、福井県立大学名誉教授。1957 年、大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了後、京大法学部助手、文部省教科書調査官を経て、2003 年、福井県立大学教授。2023年より現職。拉致被害者を「救う会」全国協議会副会長、国家基本問題研究所企画委員・評議員。最新刊に『腹黒い世界の常識』(飛鳥新社)がある。