もうひとつの記憶が蘇る。1999年7月9日、ドイツの公共放送の取材に応じた李登輝は、初めてこう述べた。「両岸関係の位置づけは国家と国家、少なくとも特殊な国と国の関係となっており、合法政府と反乱団体、中央政府と地方政府という『一つの中国』における内部関係では決してない」
中華民国が台湾を含む中国全体の正統政府だという虚構を崩し、そのうえで台湾に民主主義を導入しようとした鮮明な意図がこの発言にはあった。要するに、中国共産党を「反乱団体」だとする規定を廃止、台湾の主権の及ぶところを台湾本島、金門、馬祖などの離島に限定し、ここに民主主義を導入しようと李登輝は考えていたのである。
今年初めの総統選では、民進党の蔡英文氏が圧倒的勝利を収め、氏は李登輝の発言、「中華民国在台湾」(Republic of China in Taiwan)をさらに進めて「中華民国台湾」(Republic of China is Taiwan)と言い切った。中華民国という形容のない「台湾」へと一歩近づいたのである。李登輝の長い政治的人生は確かな結実をみせていると言っていい。( 2020.08.03 国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)
著者略歴
国基研理事・拓殖大学学事顧問、前総長、元学長。昭和14(1939)年、山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学教授を経て現職。専門は開発経済学・現代アジア経済論。(公財)オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。平成23年、第27回正論大賞受賞。著書に『成長のアジア 停滞のアジア』(講談社学術文庫、吉野作造賞)、『開発経済学』(日本評論社、大平正芳記念賞)、『西太平洋の時代』(文藝春秋、アジア・太平洋賞大賞)、『神経症の時代 わが内なる森田正馬』(文春学藝ライブラリー、開高健賞正賞)など