日中の平和のためにこそ安保法制が必要だった
外交面においてはペルー大使館人質事件や、自衛隊の海外派遣や周辺事態法の制定など、激動の国際情勢を目の当たりにし、自ら飛び込んで事にあたる高村氏の臨場感たっぷりの話が満載だが、その「外政家」としての活躍の舞台、つまりこの40年余りの国際社会におけるもっとも大きな変化は「中国の台頭」だろう。
日中議連の会長を務めたことのある高村氏はともすれば「親中派」と目されかねないが、その軸足は確固として日本に置かれていることが本書からはよくわかる。
例えば2014年、平和安全法制の議論が盛り上がっているさなかに中国の有識者との間でこんなやり取りがあったという。
「いま日中関係が悪くなってきたのは、日本の国民に中国がかつてと違って経済力をつけて大きくなったという事実を認めたくない感情があるからではないか」
そう述べる相手に、高村氏はこう言い返した。
「そういうことを否定するわけではないが、中国側が大きくなったのに大国の責任というものをいまだに理解していないことの方がずっと大きいのではないか」
これは中国側としても痛いところを突かれただろう。現在はそれから10年たって、中国はますます力を増しているが、一方では大国ぶりながら、一方では途上国のようにふるまい、大国としての責任を果たさない場面が多々ある。高村氏の「一刺し」は、中国にとってかなり効いたに違いない。
中国との関係ではもう一つ、本書では高村氏が、集団的自衛権行使容認について非常に印象深いことを口にしている。
集団的自衛権に関する憲法との関係性についても素晴らしい説明をされているので多くの方にご一読いただきたいが、それ以上に、特に集団的自衛権や現在の日本の防衛政策について不満を持っている層の人にこそ読んでいただきたいのは、高村氏の以下の言葉だ。
日本軍が強すぎて、蒋介石軍が弱すぎたから、戦前の日本は国策を誤った。逆に中国が強くなりすぎて、日本が弱くなりすぎて、日米安保がおかしくなったら、中国側が国策を誤らないとも限らない。そうしないための集団的自衛権なんです。日中の平和のためにはやっておいた方がいいんですよ。
軍事力の均衡はなぜ大事なのか
現在、「戦争が近づいてきている」と警戒感をあらわにする言説を多く見かけるようになったが、その理由を「日本が(アメリカと組んで)軍事力増強を図っている」ことに求めるケースがかなり多い。これは「日本さえ、軍事力を持たずにおとなしくしていれば、戦争は起きない」と考えていることと裏表の関係にある。
だが戦争は向こうから近づいてくることもある。高村氏が言っているのはそのことで、日本が簡単に打ち負かされる状態にあれば、中国も(かつての日本と同様に)その気になりかねない、「だから均衡が大事」なのだ。
これは外交や歴史に対する理解以前に、かなりフェアな「人間観」ではないだろうか。
近衛文麿の秘書官を務めていた父を持つ高村氏が、小学校の頃から何度も聞いていた父の言葉。それが帯にもある「外交の失敗は一国を滅ぼす」――であった。
昨今は「軍事力増強の前に外交でやれることを優先すべき」との指摘もあるが、軍事と外交のバランスが取れて初めて、他国と渡り合うことができる。
高村氏は(ご自身では「武器のことはわからない」とおっしゃっているが)、軍事と外交が国家の両輪であることを、理屈を超えて「体得」されていた、稀有な政治家だったことが本書を通じて伝わってくる。貴重な歴史の証言をしかと受け止めたい。