安保法制の立役者が語る政治の内幕
岸田総理の「次期総裁選不出馬」が決まり、いよいよ自民党総裁選の火ぶたが切って落とされることとなった。総裁選に出る以上は、当然、どの候補者も総理の座を狙っていることは間違いないが、中には「本格的に狙うのは将来、今回は顔見世興行」という候補者もいるのだろう。
だが、総裁選立候補者の中には総理の座を狙うでもなく、顔見世でもない、もう一つの別の目的で出馬するケースがあることを知った。それが高村正彦・兼原信克・川島真・竹中治堅・細谷雄一『冷戦後の日本外交』(新潮選書)だ。
外務大臣、防衛大臣を歴任し、副総裁を務めた高村氏の回想に元外務官僚の兼原氏と、アジア政治外交史が専門の川島氏、政治学者の竹中氏、イギリス外交史が専門の細谷氏がそれぞれの観点から質問や解説を加え、高村氏が初当選した1980年代から平和安全法制成立までを立体的に描き出している。
「(議員になったら)外交安全保障をやるということは最初から決めていました」と語る高村氏。防衛については「何も知らなかった」と言いつつも、「軍国主義が空想的平和主義になっちゃったから、真ん中の現実的平和主義に戻さなきゃいけない」という振り子の論理で自らの取るべきスタンス、打ち出す方針を考えていたという。
そして安倍政権の功績である平和安全法制成立の立役者として活躍したのち、2017年に政界を引退した高村氏は、本書を読むとよくわかるように生来のバランサーなのだ。
「総裁選に勝てるとは思いませんでしたが……」
そのバランサーである高村氏と総裁選の関係は何かと言えば、本書で明かしている「総裁選出馬の動機」についてだ。
2003年、高村氏は当時現職の総理だった小泉純一郎に挑む形で総裁選に出馬している。
現職総理が出馬した総裁選で負けたことはこれまでに一度もない。しかも国民の小泉人気は依然として高く、支持率が50%を超えていた時期だ。
にもかかわらず、なぜ総裁選に打って出たのかと聞かれた高村氏は、次のように答えている。