【読書亡羊】サイバー安全保障を「机上の空論」にしないために  小宮山功一朗・小泉悠『サイバースペースの地政学』(ハヤカワ新書)

【読書亡羊】サイバー安全保障を「机上の空論」にしないために 小宮山功一朗・小泉悠『サイバースペースの地政学』(ハヤカワ新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


実は物理的なサイバースペース

行政や業務のデジタル化、と言った時に、真っ先に人々が考えたのは「ペーパーレス」だった。紙にデータを印刷するのではなく、データでやり取りし、保存する。これが省エネにもつながるという話だった。

だが、実のところデジタル化を達成したからと言って物体が消えてなくなるわけではない。データ保存もCDーROMやメモリスティックなどからクラウドに変化しているが、これとて物体が必要であることからは逃れられない。

どういうことか。

「データをこのPC(スマホ)上ではないどこかに保存する」というクラウドサービスは広がる一方だが、その名やクラウドを示す雲のアイコンは、イメージとはいえ事実誤認を招く面があるように思う。まるで漂う雲のように、実体のないサイバースペースに、データが大量に、無尽蔵に保管されているかのように思わせてしまうからだ。

そもそもサイバースペースそれ自体が、どうにも実態をつかめない、無限に広がる電子領域のように感じられてしまう。これもイメージで示せば電子の粒が飛び交ったりするような絵面になってしまうし、だいたいがサイバースペースを「仮想空間」と訳したことも、その一因かもしれない。

だが実際には、クラウドに預けたデータはこの地球上のどこかにあるサーバという物体の中に保管されているし、サーバが作り出す巨大なサイバースペースも同様に、中身を支える「論理的」な面だけではなく、実は圧倒的な「物理的」要素が支えている。

しかも、「物理的」である以上、その物体が置かれる場所、つまり地理的要因にも縛られるのだ。

そのことをありありと教えてくれるのが、小宮山功一朗・小泉悠『サイバースペースの地政学』(ハヤカワ新書)だ。著者のお二人はウェブ上を飛び交う偽情報について、システム面(小宮氏)、軍事面(小泉氏)から語る専門家。

サイバースペースの地政学

サイバーは「危なっかしい」

今回はサイバースペースを支える海底ケーブルやデータセンターを訪ね、千葉県からエストニアまでを巡り、歴史の縦軸まで織り込んで綴ったルポとなっている。

そのため、著者らの専門であるシステムと軍事の領域から「サイバースペースとは何ぞや」をとらえられる本でありながら、どこか旅情さえ漂うものになっている。無味無臭の電子空間に手触りさえもたらす読後感が得られるのだ。

そして、実存が感じられなかったサイバースペースが実体化することで、その存在を支えている企業や技術者の実存を感じると同時に、サイバースペースの「危なっかしさ」「脆弱さ」を感じられもするのである。

「危なっかしさ」とは何かといえば、「時間も空間も飛び越えて瞬時に世界中を駆け巡る」データを「駆け巡らせている」もの、例えば海底ケーブルの実態だ。海底ケーブルというと、ものすごく太くて丈夫なものを想像するが、実際にはホース程度の直径しかない。

2023年には台湾の媽祖島と本島を結ぶ海底ケーブルが切断されたが、原因は中国船籍の漁船と貨物船から引きずられた錨だったという。特別な武器や軍事作戦なしに、今や生活にも安全保障にも必須となっている海底ケーブルが切断されてしまうとは驚きだ。

しかも、それによって媽祖島と本島間の情報連携が(すべてではないとはいえ)絶たれる可能性を考えると、その「危なっかしさ」がわかるというもの。

さらには、近年安全保障の話題でも盛んに取り上げられる「サイバー戦」が、やはりサイバースペースのみで展開しているわけではないことも理解できる。データを行き来させるケーブルを製造し、敷設すること、データを集積するサーバをどこに置くか、その時点から「戦い」は始まっているのである。

関連するキーワード


書評 読書亡羊 梶原麻衣子

関連する投稿


【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは  ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】議員が総裁選に出る「もう一つの目的」とは?  高村正彦・兼原信克・川島真・竹中治堅・細谷雄一『冷戦後の日本外交』(新潮選書)

【読書亡羊】議員が総裁選に出る「もう一つの目的」とは? 高村正彦・兼原信克・川島真・竹中治堅・細谷雄一『冷戦後の日本外交』(新潮選書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】トランプ陣営も「これ」で献金を巻き上げた⁉ ハリー・ブリヌル著『ダークパターン』(BNN)

【読書亡羊】トランプ陣営も「これ」で献金を巻き上げた⁉ ハリー・ブリヌル著『ダークパターン』(BNN)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】世界には「反移民で親LGBT」「愛国的環境保護派」が存在する  中井遼『ナショナリズムと政治意識』(光文社新書)

【読書亡羊】世界には「反移民で親LGBT」「愛国的環境保護派」が存在する  中井遼『ナショナリズムと政治意識』(光文社新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは  ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


青山繁晴さんの推薦人確保、あと「もう一息」だった|和田政宗

青山繁晴さんの推薦人確保、あと「もう一息」だった|和田政宗

8月23日、青山繁晴さんは総裁選に向けた記者会見を行った。最初に立候補を表明した小林鷹之さんに次ぐ2番目の表明だったが、想定外のことが起きた。NHKなど主要メディアのいくつかが、立候補表明者として青山さんを扱わなかったのである――。(サムネイルは「青山繁晴チャンネル・ぼくらの国会」より)


総裁選候補に緊急アンケート15問|野田聖子議員

総裁選候補に緊急アンケート15問|野田聖子議員

混戦となっている自民党総裁選。候補者たちに緊急アンケートを実施し、一人ひとりの実像に迫る!


総裁選候補に緊急アンケート15問|青山繁晴議員

総裁選候補に緊急アンケート15問|青山繁晴議員

混戦となっている自民党総裁選。候補者たちに緊急アンケートを実施し、一人ひとりの実像に迫る!


【今週のサンモニ】政治を何だと思っているのか……|藤原かずえ

【今週のサンモニ】政治を何だと思っているのか……|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。