■②ロシアに奪われた領土
第2に、陸のシルクロードはどうか? これには、ロシアが障壁となってくる。ロシアは中央アジア・シベリアの支配を通じ、北ユーラシアの支配権を確立している。ハートランドの支配権はすでにロシアが握っているのだ。そこへ、中国が割り込んできた。
ロシアはクリミア奪取とウクライナ東部への侵攻による西欧との正面戦を維持するため、背後に位置する中国との政治的安定が必須となり、中国もまた海洋進出を図るため、ロシアとの共存を望んでいる。だが、一皮むけば、底流には非常な確執がある。その筆頭が両国国境における人口比の問題である。
ロシアの極東連邦管区ではロシア国籍の人口はわずか630万人。それと接する中国東北部(遼寧・吉林・黒竜江各省)の人口は1億3千万。とんでもない格差である。この人口格差が中国人の一方的なロシアへの流入を生んでいる。
現在、ロシア在住の中国人は200万。さらには、150万の中国人の違法流入がこれに加わる(2016)。過去10年で80万平方キロの農地が中国人に格安リースで与えられ、ザバイカル(極東)に至っては1150平方キロが中国企業にリースされている現状がある。なぜこのような状況が黙認されているのか? ロシア一国では、シベリア開発がとうてい賄(まかな)えないからである。
しかも、中国との間には歴史問題が関わっている。ロシアによる沿海州の強奪である。具体的には、1858年の愛琿条約、60年の北京条約がそれに当たる。この時、ロシアはその武力を背景に割譲を迫り、日本本土(38万平方キロ)の数倍にもわたる清国領を獲得した。
この史実が、中国人の深層に刻印され、領土回復が折に触れて喚起されてきた歴史がある。事実、中国の教科書はこの割譲されたロシア領を自国領と記している。ロシアは2008年の国境画定により、問題は終わったと見ていようが、中国はこうした史実を絶対に忘れない。そして、自国が優位に立った瞬間、それを公然と言い始める。
中国には2つの国土概念が存在する。1つは列強に強奪されたかつての領土の失地回復である。台湾や香港・マカオ等がそれに当たる。そして将来、沿海州も当然、その対象になるであろう。今1つは、中国が戦略的国境論という特異な国家観を持っていることである。
つまり、通常の近代国家が持っている固定した国境観ではなく、時と場合で拡大・収縮するのである。その最たるものが尖閣列島や南シナ海の領有宣言で、「これらは国家の核心的利益に当たる」と表明し、編入を言い出すのだ。しかも、かつての協定や条約を反故にした形(事情変更)でなされてゆく。
「過去の事情は変更になったので、今からは別の事情下で行動する」と。まだある。中国は、自国の経済的排他水域(EEZ)にも領海と同等の国家主権を主張している。つまり、無許可のEEZの航行は領海侵犯に当たるとするのだ。これは無茶苦茶な解釈で、それが認められれば、現今の海洋法はすべて無効になってしまう。
これが沿海州にも適用されるであろうことは、まず間違いない。とすれば、両国の確執は、いずれ表面化することは眼に見えている。
■③イスラム問題
第3に、陸海シルクロードのいずれもがイスラーム世界を通ることへの懸念がある。このイスラーム問題は、過去の世界帝国、大英帝国、ソビエト帝国、アメリカ帝国にとり、最も解決不能なものであった。イスラーム世界は鬼門中の鬼門なのだ。この状況を、よもや中国のみがコントロールできるとは考えられない。
そもそも、自国領の東トルキスターンさえ治め切れず、テロが頻発している最中(さなか)にある。しかも、内に熾烈なイスラーム弾圧を行いながら、外にイスラーム世界と友好関係(一帯一路)を築こうというのである。まさに、矛盾以外の何ものでもない。
イスラーム過激派は、現在欧米を主敵と見なしているため、中国の東トルキスターン弾圧(ウイグル人ムスリムの弾圧)には手が回っていないようだが、少しでも欧米との関係が緩んだなら、ただちにその矛先は中国に向かうはずである。
その兆候はすでに出始め、イスラーム世界で最も親中国たるパキスタンでも対中国人テロが勃発し、近年ではグワーダル港(パキスタン・バルチスターン州に位置する真珠の首飾り戦略の要衝)建設反対を呼号するバルチスターン解放軍のテロ攻撃(在カラチ中国総領事館襲撃)を受け(2018)、その 半年後にも中国人宿泊客が利用するグワーダルの高級ホテル(パール・コンチネンタル)が同軍のターゲットとなっている。
グワーダルはバルチスターン州の港湾で、40年間、中国が同港一帯の管理運営を請け負う形で建設が進んでいるが、スリランカのハンバンドタ港やギリシアのピレウス港と同様の「債務の罠」に陥る危険性がかなりある。上記のテロ攻撃は、これにバルチスターン独立問題とも相まって、武装勢力が異議申し立てを行ったものと思われる。これは、海のシルクロードの将来を見る1つの事例になるであろう。
小滝透『一帯一路が中国を亡ぼす――習近平も嵌った、地政学的限界の罠』より一部抜粋
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