ちなみにこの「占領法規てっぱいのために」 の「爆発物取締罰則」の項では、「『治安維持』の立場から爆発物の使用を厳禁し、これを死刑で威嚇している。現在では銃砲等所持禁止令とならんで国民武装を禁止する役割をになっている」とか「火焔ビン、ラムネビンに対して検察庁ではこの罰則を適用しようとしたが裁判所の多くはこれをみとめなかった。弾圧当局ではこの罰則を重視し、国民の自衛活動に妨害を加えようとしている」と解説している。「国民武装」や「自衛活動」として、火炎ビン闘争を奨励する当時の日共の危険な姿勢がよく表れている。
殺人犯を中国に逃亡させる
戦前、戦後の日本の出入国管理の歴史をふり返れば、日共に「入管行政の歪み」など批判する資格などさらさらない。
戦前は、コミンテルン日本支部だった日共は、ソ連のコミンテルン本部との連絡をする際には、密航による不法な出入国をするのが常であった。密航によってソ連本国から多額の資金や拳銃等の武器を入手していたのだ。
戦後も、マッカーサーの指令によって党中央が解体(レッド・パージ)されると、徳田球一や野坂参三など主要幹部が中国に不法出国し、「北京機関」を設置、中国から日本国内に残した「臨時中央指導部」(臨中)を指揮する体制をつくった。北京機関と臨中との連絡は、漁船を利用した密航であった。この日共の密航ルートは当時「人民艦隊」と呼ばれた。
「人民艦隊」は、日共による殺人である「白鳥事件」の実行犯を含む関係者を中国に逃亡させるためにも利用された。
戦後の混乱期のなかで、入管行政も現在のようには確立しておらず、様々な点で隙が生じていたことは否めない。その入管の隙をついて、日共は自らの犯罪行為を隠ぺいしてきたのだ。
逆に言えば、「人民艦隊」のような密航の横行への反省から、今日の出入国管理の体制がつくられてきたとも言える。
志位氏は「入管制度の抜本的改革を求める運動は、戦前の特高警察的な歴史をただす歴史的な意義をもつものです」と言うが、入管法を廃止あるいは骨抜きにしようとする要求は、日共の暗黒の歴史を覆い隠そうとする企てであることを忘れてはなるまい。