志位委員長のご都合主義
特高は戦後、治安維持法とともにGHQの命令により廃止されたが、最近になっても党機関紙「しんぶん赤旗」が特高について「天皇制政府は1925年に制定された治安維持法などを適用し特高警察による日本共産党への無法な弾圧を続けました。容疑者を逮捕して拷問を加え、裏切りやスパイを強要し、多くの党員・支持者を虐殺しました。日本共産党員で作家の小林多喜二も犠牲者の一人で、33年2月20日に逮捕され、東京・築地署で7時間後に絶命しています」との解説記事を掲載するなど、いまなお特高は日共にとって不倶戴天の敵となっている。
〝入管庁は特高警察だ〟という主張はこうした文脈のなかで現れたものだ。戦前、特高が出入国管理の業務を担った歴史的事実はある。しかしそれは、朝鮮、台湾という当時の植民地支配という必要から生じた歴史的な特殊事情ともいえるものだ。「それが戦後もそのまま引き継がれた」とか「戦後も、ただされないまま今日にいたった」という志位氏の主張は、植民地のない現代においては全く通用しないばかりか、戦後の民主化の成果を否定するものだ。入管法改正反対 という目先の目的のために、特高の歴史を利用しようしたご都合主義にすぎない。
70年前から「死刑」で入管法に反対していた
1950年代、日共は出入国管理の法令について〝特高からの引継ぎ〟ではなく、アメリカによる「占領法規」の一つと位置付けていた。
日共の機関誌である『前衛』1954年7月号は「占領法規てっぱいのために」という編集部執筆の特集記事を掲載しているが、そのなかで「占領法規をひきつぎ実質上占領法規である国内法」として、破防法などと共に出入国管理法を掲げ、次のように解説している。
「出入国管理法:出入国の管理に関する政令、不法入国者等退去強制手続令を『講和』(=1951年のサンフランシスコ講和条約)後も永久化しようとしてつくられ、在日民主外国人民の弾圧、動勢監視、国外追放、につかわれ、朝鮮人に対する弾圧は、その特色である」
そして法の目的として「マッカラン法(=米国の反共法)の日本版で、民主的な外国人の入国を禁じ、日本の利益または安全を害するおそれありとの名目で、日本を米帝のくさりにつなぎ鎖国しようとするもので、憲法に反して、行政庁による裁判を事実上行っている。しかも、在日外人に対するスパイ活動をつねに奨励し、民主主義者を国外追放に処そうとするファシズム法である」とまで言っている。
さらに「適用の実状」として「外国人登録法とあいまって、在日朝鮮人、中国人の弾圧にもっともつかわれている。在日朝鮮人を李(承晩)支配下の南鮮(=韓国)に強制送還することによって事実上死刑に処している」と主張していた。〈引用中()内は松﨑が補った〉
今回の入管法改正をめぐる国会論戦の中でも改正案に反対する議員からは「法案を通せば死刑執行のボタンを押すことになる」という感情的な意見表明が繰り返されたが、「死刑」というワードで入管法に反対する主張は70年前から変わらないということだ。