完全に骨抜きにした「エセ共同親権案」
4月18日、「法務省家族法制部会が『共同親権制度』導入を検討」と各紙が報じた。
これを根拠にして、「北朝鮮が共同親権制度を採用しているとの話は聞いたことがない。法制審が北朝鮮の家族法導入を画策しているとの批判は言いがかりだ」と反論する者がいるかもしれない。しかし、その反論は誤りである。
なぜなら、法制審が提唱する案は、諸外国から「子どもの拉致国家」と糾弾されている状況に対応したフリをするための「エセ共同親権案」だからである。
3月22日、オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙は、「オーストラリア政府が日本政府に対し『単独親権制度』を改正するよう要請」との見出しで日本政府が単独親権制度に固執している点を非難する記事を掲載した。
この記事には、日本人が拉致した子どもたちの写真が掲載されている。オーストラリアでは、テレビなどでも、日本の前近代的な家族法制度が大々的に取り上げられ、日本は北朝鮮と同様の「拉致国家」とのイメージが定着しつつある。
同様の報道はイギリスのBBC放送やアメリカのワシントンポスト紙などでも取り上げられている。EUでも2020年に日本における子の連れ去りに関する非難決議が圧倒的多数の賛成で可決している。日本ではなぜか大手メディアはほとんど報道しないため、多くの日本人は知らないが、諸外国において急速に反日感情が高まっているのだ。
戒能も赤石も、かかる状況下で、日本が今後も単独親権制を維持し続けることは難しいと認識している。共同親権制は、日本を除く先進国すべてで採用し、採用していないのは、今や、インド・トルコなどのわずかな国のみである。
とはいえ、戒能や赤石は、何が何でも北朝鮮と同様の家族法を日本に導入したいと考えている。そこで、戒能と赤石は、自民党の共同親権賛成派を標榜する議員らと共謀し、極めて巧妙な作戦を考えた。
法制審において、捨て石として「単独親権維持案」を用意すると同時に、完全に骨抜きにした「エセ共同親権案」を作成し、その両案をパブリックコメントにかけることにしたのだ。
戒能民江と赤石千衣子らの筋書き
戒能と赤石は、表向き「単独親権維持案」を支持しているように見せる。そして、パブリックコメントの結果、「エセ共同親権案」を採用することを法制審が決定したら、「こんな横暴は許されない」など、ひとしきり暴れて見せた後、しぶしぶ賛同するという筋書きである。
誰も、戒能と赤石、そして一部の自民党議員らが、最初から「エセ共同親権案」に持っていくつもりでいたなどと疑うことはない。ある弁護士がYouTubeで「法務省法制審の共同親権試案は『当たりのないあみだくじ』である」と喝破しているが、まさにそのとおりである。
法制審が打ち出した案をよく見ると「夫婦が合意できた場合に限り共同親権」「DV(精神的DVも含む)がある場合、実子誘拐(子どもを一方の親がもう一方の親の同意なく連れ去ること)も親権剥奪も合法」「共同親権者の親から監護権の剥奪も可」など、虚偽DVをいくらでも捏造できるDV防止法とセットにすれば、事実上、単独親権制度を維持できる巧妙な仕掛けが幾重にも張り巡らされているのだ。
したがって、この試案を法律にしても、実子誘拐はなくならず、そして、実子誘拐により子を奪われた親が親権や監護権を奪われる現状は一向に変わらない。また、子と会えないことを苦に自殺する親や、親に会えないことを苦に自殺する子も、引き続き後を絶たない。
法施行後に親権を剥奪された親は「騙された!」と気づいたとしても時すでに遅しである。共同親権制をエセであれ採用した以上、外国もなかなか日本政府を批判できない。外圧によるさらなる制度改正は期待できない。
ただ、一条の光があるとすれば、この「エセ共同親権案」は、これを法律にしようとすれば、何百もの法令改正が必要となることから物理的に実現不可能と指摘されている点である。そうなった一因は、日本法との整合性を考えず、強引に北朝鮮の法令を日本法に埋め込もうとしたことにあると考えられる。
当然、憲法との整合性も考えていない。例えば、この試案は、養育費の支払いを離婚時に親権を剥奪された親にも強要するが、これは、財産権の不可侵を規定する日本国憲法に抵触するおそれがある。なお、財産の私的所有を原則として否定する北朝鮮の社会主義憲法(以下「北朝鮮憲法」)に照らせば合憲である。
同様の話は、戒能が関わった「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」についても言える。当該法律は、法の下の平等を規定する日本国憲法に反する疑いがあるが、女性の文化的落後性等を考慮し女性の事実上の平等を実現するため「母親を特別に保護する」と規定した北朝鮮憲法に照らせば合憲である。