30代になって、尾崎の歌が心に響いた
尾崎も石井も、現実に直面し、悩み、虚しさを抱えながらも生きようとする心を歌っている。私が尾崎の「僕が僕であるために」に出会ったのは、すでに30代に入ったころだった。
「僕が僕であるために」
心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
(中略)
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
この曲は尾崎のデビューアルバム「17歳の地図」に収録されている初期の作品だから、尾崎が10代のころに作った歌である。当時、全く興味を持てなかった尾崎の歌が、30代になっていた私の耳に不意に飛び込んで来て、心に響いた。
私はすでに日本を飛び出して、オーストラリアで自分の人生を模索していた。なぜいまごろになって尾崎の歌に強いシンパシーを感じるようになったのか。尾崎が早熟だったのは間違いないが、30代になって急に尾崎が身近に感じるようになり、尾崎の歌を聴き始めた。30代になって、若き尾崎の心情が共有できるようになったのは不思議だ。
歌手としての知名度は石井より尾崎のほうが遥かに高い。しかし、石井は戦い続け、生き続けている。日本の将来を憂いて、自身の動画番組(Heavenese Style)やコンサートを通じて、かつての大和魂を取り戻せと叫び続けている。理解者の輪は確実に広がっている。
私はと言えば、あれほど失望していた日本に戻って、保守言論界の末席から「このままでは日本は消滅する」と警告のメッセージを発している。2人の声は、31年前にこの世を去った尾崎の歌ほどに人々の耳に届くことはない。
それでも、2人は叫び続ける。やがて還暦を迎えても叫び続けるだろう。