さらにボブが見つけた文書には、注目すべき記述が残されていた。
「一九六七年十月二日匿名CIA局員の供述」には、オズワルドがメキシコシティを訪れたのはダラスで起きた悲劇の八週間前、一九六三年九月二十八日と記されている。
しかし、二〇一六年の取材により制作されたテレビ番組で、ボブとバーコヴィッチは、既にオズワルドがメキシコシティにあるソ連大使館でKGBと会い、その場には暗殺等の謀略を行う部署第13課のトップがいたのを突きとめていた。
オズワルドのソ連・キューバ大使館訪問は、多くの暗殺研究本も触れているが、長い間さして重要な事柄とは見なされてこなかった。
代表的な例としては、映画『JFK』でギャリソン検事(ケヴィン・コスナー)が「〔CIA〕はオズワルドを共産主義者にしたかった。メキシコでの工作は黒幕をカストロにするためだ」と自説を披露し、オズワルドのメキシコ行きは真相をそらすためのCIAの偽装工作と決めつけるシーンである。
これが事実だとすると、ギャリソン検事の捜査を、ウォーレン委員会報告がミスリードしていることになる。同委員会はオズワルドのメキシコ行きを単なる休暇のための一人旅と判断していたので、KGBとの会合を報告書に記載しなかった。
そのためメキシコシティにあるソ連・キューバ大使館から観光ビザを却下されたオズワルドの行動は謎に包まれたままだったが、新たに公開された文書によって全貌が明らかとなった。
ボブは文書を読みながら、
「オズワルドはたやすくバスチケットを購入し、メキシコシティへ向かったと思っていた。だがこの行を見てくれ。
〈メキシカーノはオズワルドとメキシコシティへ行った〉
オズワルドが一人でなかったのは明らかだ。計画にからむ誰かがいた。これは驚くべき新事実だ」
そしてボブは「ルイジアナの軍事訓練施設の責任者がメキシカーノだった」と付け加える。
暗殺のプロが同行していた
一九五九年、カストロはバチスタ政権を倒し革命政権を樹立。一九六一年ケネディ大統領は社会主義化を進める同政権を倒すために、キューバへ亡命キューバ人部隊を送り込んだ(ピッグス湾事件)。
が、カストロの思わぬ反撃をうけ、形勢不利と判断した大統領は上空からの支援を取りやめた。
結局、百名が死亡、千名以上が捕虜となったので、多くの亡命キューバ人がケネディ大統領に敵意を抱くようになる。CIAはその後もキューバへの秘密工作を繰り返したが、その先兵となったのが亡命キューバ人グループ。彼らはケネディを憎みながら、キューバ共産主義政権打倒のため軍事訓練に励んでいた。
その秘密軍事訓練場が南部のルイジアナ州にあったのを、ボブたちは二〇一六年の現地調査で発見している。番組六回分の第三話ではルイジアナのベルチェイスにある五十に及ぶCIAが使った貯蔵庫を確認。
その一部から爆発物の痕跡まで科学的に検証し、第四話では、同じくルイジアナの人里離れた沼地で、米軍の弾薬を入れていた軍用ケースを川底から引き揚げてもいる。
オズワルドは、暗殺が決行された一九六三年の八月二十一日~九月十七日の間行方が分かっていない。
ボブは、ニューオリンズでのCIAや亡命キューバ人とのつながりから、オズワルドがルイジアナの秘密基地でライフル銃を使った狙撃など、徹底した訓練をうけていたと推測している。
この点、映画『JFK』がニューオリンズでの反カストロの活動を行っていたガイ・バニスター、デヴィッド・フェリーとオズワルドの奇妙な結びつきや亡命キューバ人の秘密基地で軍事訓練を指導しているフェリーの姿を、映像化していたのを思い出してもらいたい。
オリヴァー・ストーン監督の真犯人追及の方向性は、けっして的外れではなかったということになる。
オズワルドと共にメキシコシティへ旅行した同伴者がルイジアナ訓練施設の責任者だったとしたら、どのようなストーリーが成り立つか。
これについては、公開された機密文書一九六八年六月二十八日FBI内部メモが重大な事実を伝えている。同メモによるとオズワルドとメキシコへ行った人物は、FBI捜査の重要参考人で、本名をF(フランシス)・タマヨといい、一九六八年六月に暗殺未遂罪でベネズエラのカラカス警察に逮捕され、暗殺のプロだったのが判明した。