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瀬戸内みなみの「猫は友だち」

真鍋島の猫たちとMさんのこと

■「猫たちはどうなるんだろう?」

Mさんが亡くなった。昨年12月の暮れももう押し迫ったころで、彼を知っているひとたちの間には衝撃が駆け巡った。

というのも、Mさんは還暦は過ぎていたがいたって元気に日本語学校の教師として働いていて、ある日突然いなくなるなんて誰も想像もしていなかったからだ。

それともうひとつ。知人たちが彼の死に驚くと同時に、おそらく一斉に思ったことがある。

「猫たちはどうなるんだろう?」

Mさんが暮らしていたのは瀬戸内海に浮かぶ小さな島、岡山県・真鍋島だ。美しく穏やかな海、風情のある古い建物や校舎などの観光資源にも恵まれて、昔から国内のみならず海外からも訪問客の多いところである。

さらに最近では、猫がたくさんいる猫島としても有名になっている。Mさんが元気だったころ、島の人口約190人に対して猫は100匹いるといわれていた。観光客の中でも、島の風景やおいしい魚には目もくれず、ひたすら猫だけを追いかけるひとが格段に増えたという。ネットで検索すればすぐに、

「ニャンコたちのパラダイス!」

「猫さんと触れ合って癒されよう♡」

などという見出しとともに、猫写真をいくらでも見ることができる。

10年ほど前に移住して以来、この島じゅうの猫たちに目を配っていたのがMさんだったのだ。

■猫のために切り詰めた生活

猫の数が多いからパラダイス、というのは、あまりにも安易だ。島という閉ざされた空間で、飼い猫ではないたくさんの猫が生き抜いていかなくてはならない環境は、過酷である。きれいごとではない。

Mさんは島を回って猫の世話をしながら、その猫たちの様子を日々ツイッターで、それこそ世界へ向けて発信し続けていた。けれどもそこから垣間見られる生活の慎ましさ、特に食事を倹約する様子は、ひと事ながら心配になったものだ。だって、「今日の夕食は100円ショップで買った煎餅」なんて投稿もあったくらいである。私の余計な心配が、まさかこんな結果で現実になろうとは。

切り詰めたお金で、Mさんは猫の餌代、病院代、避妊手術代をまかなっていた。

島外の職場で働きながら、一日おきに島に帰っては猫の面倒を見るというのが日常だった。強く冷え込んだその日の朝、Mさんはいつも通りに島を回り、出勤のため朝一番の定期船に乗ろうとしてふいに崩れ込んだのだという。救急船で対岸の病院へ運ばれたが、すでに事切れていた。直接の死因はヒートショックだったそうだ。

カトリック信者だったMさんの葬儀は、クリスマス・ミサも終わった12月26日にカトリック笠岡教会で執り行われた。教会は真鍋島からの定期船が発着する笠岡港のすぐそばにある。Mさんは生涯独身で家族はなく、神奈川県で暮らしているお母さんも高齢なので、笠岡教会の山口神父が身元引受人となって遺骨を引き取った。

参列者は真鍋島の住民が2人、職場のひとが2人、ツイッターなどで交流があった猫関係者が私を含めて2人、あとは教会の信者さんが20人ほど。遺影は、ツイッターで彼の死を知ったひとたちから送られたお花と猫のぬいぐるみに囲まれていた。Mさんらしい、静かでしめやかな葬儀だった。

■飢えた猫たち

「……あのあと、島の猫たちは大変だったんよ」

葬儀にも参列した真鍋島の中室敦美さんがいう。敦美さんは島の港の切符売り場で働いていて、自宅でも猫を1匹飼っている。私と年が同じということもあり、猫のことというと何かと連絡をくれ、教えてくれるのだ。

大変だった……。そうかもしれない。それこそがMさんのツイッターを見ていたひとたちの心配していたことだ。

島にも猫を好きなひとはもちろんいるが、島全体の猫のことを考えていたのはMさんだけだ。餌やりは猫好きの住民数人と連携してやっていたが、高齢者ばかりということもあってそれぞれ自宅周辺の猫しか面倒を見られず、それも死去や入院などでひとり、またひとりと減っていく。

また世界中どこでもそうだが、その地域に暮らすひとたちの大部分は猫に関心がないのだ。もちろん嫌いなひともいる。積極的に猫が好きというひとのほうが圧倒的少数派だ。Mさんが孤軍奮闘していたのは誰の目にも明らかだった。

つまり、Mさんが餌をやっていた猫たちは飢えてしまったのである。

「しばらくすると、猫同士のケンカする声がものすごく響くようになった。この辺の猫もみるみるうちに骨と皮みたいに痩せてしまって……。こんなになっちゃうんだと思ってびっくりしたよ。今までそんなことはしなかったのに、ゴミ箱を必死で漁るようになったり、家の中にどんどん入り込んだり。ひとが持っているカバンやリュックにもよじのぼるし、引っ掻かれて流血したひともおったわ。ペットボトルしか入ってないゴミ袋をなんとか破こうとしていたり……。胸が痛かった」

見るに見かねた敦美さんは港周辺の猫たちにキャットフードを与え始めた。そしてやっと状況が落ち着いてきたという。

「でも猫の数は、すごく減ったよ」

ただ、減ったようには思えないという島のひともいる。それはひとが最も多く行き来する港の周りに猫が集まってきているからではないか、というのが敦美さんの意見だ。

港には猫が目当ての観光客が、毎日のようにキャットフードを持って上陸してくるからだ(ただし、天気が悪いとやって来ない)。

食べ物に満足していたころは観光客よりも昼寝を優先していた猫たちも、空腹だと大きなカメラとバッグを持った見知らぬひとたちに付きまとうようになる。観光客は、評判通りひと懐こい猫がたくさんいる島だ、と喜ぶ。島のひとたちは、いつもと変わらない光景だ、と思いながら通り過ぎる。

こうやってまた、「猫の楽園」のイメージが広まっていくのだろうか。

■後進を育てたかった

「Mさんが亡くなったあと、みんながタヌキと呼んでいた猫もいつの間にか姿が見えなくなったんよ。Mさんがかわいがっていたし、ケガをしていたから私も気になってたんだけど……」

生前のMさんに一度だけ、私は直接会って話を聞いたことがある。

猫と人間がどちらも幸せに暮らしていけるように、地域のひとが行政とも連携して猫の面倒を見られるような仕組みを作りたい。そのためにできれば団体を立ち上げたい。自分の後を引き継いでくれる、若いひとを育てたい。Mさんはそんな構想を語っていた。

だが結局、どれも実現することはなかった。足りなかったのは時間なのか。Mさんの早すぎる、そして突然の死は、結果的に問題を残すことになってしまった。

Mさんは優秀な頭脳と能力に恵まれていたひとで、輝かしい学歴と職歴を持っていた。それなのになぜか、世間的な成功や出世というものからは縁遠かったようだ。どうして自分と社会とがかみ合わないのか、認められないのかという悔しさが、言葉の端々ににじみ出ているように感じられてならなかった。

小さな島で必死に生き抜こうとしている猫たちに、Mさんは自分を重ねていたのかもしれない、というのはたぶん考え過ぎだろう。けれども弱い存在である猫を守ろうとすることは、世の中の不条理にいつも苛立っていたMさんにとって、社会正義だったのではないかと私は思っている。

■猫たちの運命

Mさんは、最初から特に猫好きだったわけではない、とも話していた。

猫島としてすっかり有名になってしまった真鍋島には、Mさんがいなくなったあと、島外から個人や団体の動物愛護活動家が乗り込んできたそうだ。かわいそうなたくさんの猫たちの面倒を見ます、ということらしい。だが当の地域住民は困惑した。なぜたかだか猫のことをいろいろいうのか、なぜよそ者が島の生活を引っかき回そうとするのか、と。

その騒ぎも一段落した今、猫と島のひとたちとの距離は昔のままの穏やかさに戻っているように見える。けれども、これから猫たちがどうなるのかは分からない。

ひとが手をかければ猫は増え、面倒をみなくなれば数を減らす。猫と人間との関係はずっとこうだった。何が正しく、何が幸せなのかを外部からいうことは難しい。猫がその土地で暮らしているからには、その地のひとたちが決めなくてはならないことなのではないか。 

猫たちの運命も、それに委ねるのしかないのかもしれない。

Mさんの理想が実現しなかった今となっては。

 (写真撮影/中室敦美)

 

 

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著者略歴

  1. 瀬戸内みなみ

    作家 広島県生まれ。上智大学文学部卒業。会社勤務などを経て、小説、ノンフィクションなどを手掛けている。テーマは猫と旅と日本酒。著書に『にっぽん猫島紀行』(イースト新書)。月刊『Hanada』で「わが人生に悔いなし」を連載中。

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