後進を育てたかった
「Mさんが亡くなったあと、みんながタヌキと呼んでいた猫もいつの間にか姿が見えなくなったんよ。Mさんがかわいがっていたし、ケガをしていたから私も気になってたんだけど……」
生前のMさんに一度だけ、私は直接会って話を聞いたことがある。
猫と人間がどちらも幸せに暮らしていけるように、地域のひとが行政とも連携して猫の面倒を見られるような仕組みを作りたい。そのためにできれば団体を立ち上げたい。自分の後を引き継いでくれる、若いひとを育てたい。Mさんはそんな構想を語っていた。
だが結局、どれも実現することはなかった。足りなかったのは時間なのか。Mさんの早すぎる、そして突然の死は、結果的に問題を残すことになってしまった。
Mさんは優秀な頭脳と能力に恵まれていたひとで、輝かしい学歴と職歴を持っていた。それなのになぜか、世間的な成功や出世というものからは縁遠かったようだ。どうして自分と社会とがかみ合わないのか、認められないのかという悔しさが、言葉の端々ににじみ出ているように感じられてならなかった。
小さな島で必死に生き抜こうとしている猫たちに、Mさんは自分を重ねていたのかもしれない、というのはたぶん考え過ぎだろう。けれども弱い存在である猫を守ろうとすることは、世の中の不条理にいつも苛立っていたMさんにとって、社会正義だったのではないかと私は思っている。
猫たちの運命
Mさんは、最初から特に猫好きだったわけではない、とも話していた。
猫島としてすっかり有名になってしまった真鍋島には、Mさんがいなくなったあと、島外から個人や団体の動物愛護活動家が乗り込んできたそうだ。かわいそうなたくさんの猫たちの面倒を見ます、ということらしい。だが当の地域住民は困惑した。なぜたかだか猫のことをいろいろいうのか、なぜよそ者が島の生活を引っかき回そうとするのか、と。
その騒ぎも一段落した今、猫と島のひとたちとの距離は昔のままの穏やかさに戻っているように見える。けれども、これから猫たちがどうなるのかは分からない。
ひとが手をかければ猫は増え、面倒をみなくなれば数を減らす。猫と人間との関係はずっとこうだった。何が正しく、何が幸せなのかを外部からいうことは難しい。猫がその土地で暮らしているからには、その地のひとたちが決めなくてはならないことなのではないか。
猫たちの運命も、それに委ねるのしかないのかもしれない。
Mさんの理想が実現しなかった今となっては。
(写真撮影/中室敦美)