白人主義者にもISISにも通じる「見た目主義」
興味深いのは、彼ら過激主義組織の幹部たちが「外からの視線」を大いに気にしているところだ。
例えば第10章で取り上げているネオナチの音楽イベントで名前があがる人物は、「感じのいいネオナチになるためのセミナー」を開いているという。あるいは第9章で紹介されるアメリカの極右組織は「見た目がパッとしない者(病的に太っている、醜いなど)は、イベントに出てこず、家で自分磨きをしろ」とのルールを定めている。
思想を広め、仲間を集めるためには構成員や組織イメージが洗練されている方がよく、また「いざ、行動に移す」その時までは世間から危険視されない方が得策だ、との考えが垣間見える。
こうした「見た目重視」の傾向はISISにも通じるという。「主流の考えに抵抗しつつも、文化的最先端を行っている、クールなカウンターカルチャーである」というブランディングの結果なのだ。
ダサくてよかった? 日本の政治運動
翻って日本はどうか。例えば「感じのいいネトウヨになるためのセミナー」など、開いても誰も受講しないだろう。かつて日本にも「愛国的男女のための出会い系サイト」が企画されたこともあったが、すぐに見なくなった。
そもそも保守や右派の活動に「クールさ」は皆無と言っていい。街宣右翼は言うまでもないが、ネット上で保守的・右派的とみなされる政治宣伝をしているアカウントやサイトを見ても、洗練されたデザイン性の高いものはむしろ避けられる傾向にある。
「SNSなどによる煽動」はあっても、それが「何らかの組織への勧誘」に繋がっているケースは少なく、そうしたものは保守や右派という思想をはるかに飛び越えた「陰謀論」的サークルの方がうまく使っている。
比較的若い構成員が目立った、ネットで集まった人たちによる保守系・右派系の組織と言えば、2011年に発生したフジテレビ抗議デモや在特会のような「行動する保守界隈」が挙げられる。だが、こうした組織はむしろ「いかにもな振る舞い」を取り続けているし、「若者」がいても主体になることはなく、当然のことながらクラブやロックイベントとは全くの無縁だ。
むしろ、欧米の過激主義組織が用いる「クールなカウンターカルチャー」感の演出は、リベラル側と相性がいい。2015年、安保法案に即興ラップで反対を示した学生団体「SEALDs」や、「選挙フェス」を挙行した社会活動家の三宅洋平氏らがそれにあたる。
とはいえ、リベラル派・左派が全体的に洗練されているかと言えばそうでもなく、安倍政権下では「アベ政治を許さない」の筆文字をラミネート加工したバッジをカバンにつけた高齢者をよく見かけたものだった。「憲法9条を守る」という意味のデザイン性の高いバッチを付けた若者もいたが、「変える」ではなく「守る」ための若者の政治運動には火がつきづらい。
これまた「欧米青年と比べた日本の若者の欠点」同様、日本の政治運動全般に見られる「ダサさ」は、「欧米に学んで洗練されるべきもの」として挙げられかねない。だが、長所になる性質は、裏返せば副作用を生む可能性があることを知っておかねばなるまい。
政治運動はダサくてアナログなくらいでちょうどいいのかもしれない。